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本棚に追加新開成留:6 兄妹
約束通り、平嶋さんが私を自宅まで車で送り届けてくれた。だが事態が急転したこともあり、ファミレスにいた時とは打って代わって、氷見店長に関する話題は一度も互いの口に登らなかった。ただ、
「あの」
言葉を選んだ様子で、平嶋さんは一度だけ助手席の私に話しかけて来た。
「はい」
と私は返事したが、その後しらばく平嶋さんは質問らしき言葉の続きを発しなかった。ハンドルを握る平嶋さんの横顔は真剣そのもので、瞬きの回数が多く、空いた手で眼鏡のブリッジを何度も持ち上げていた。この時平嶋さんが何を聞こうとしたのか、私には分る気がした。しかし私はあえてその事には触れずに、
「また警察に戻るんですか」
と尋ねた。すると平嶋さんは、
「え?」
と声を裏返えし、「ええ」とだけ言って頷いた。だかそれきり、話は続かなかった。時計を見やると、すでに日付が変わっていた。私はシートに背中を預け、窓の外を見ながら、膝の上に置いた菓子折りを両手で握った。潰れた箇所が鋭く山なりになって、握った指の腹が痛かった。
「それ、捨てておきます」
と平嶋さんが言った。しかし私は何だか忍びない気がして、
「もらっていいですか」
と尋ねた。平嶋さんは驚いた顔で、何故、と聞いた。お菓子好きの女子大生が卑しさを発揮した、とは思っていない表情だった。
「勿体ないから」
私がそう答えると、平嶋さんは何も言わずに二、三度頷いてから前に向き直った。
帰宅後、くしゃくしゃの包み紙を解いて箱を開けると、中身はバウムクーヘンとマドレーヌの詰め合わせだった。平嶋さんが踏んづけたせいで、可愛く個包装された二つが潰れていた。私は潰れたひとつを手に取って、中身が零れ出さないように端っこを手で切った。バターの良い香りがした。
─── さっきハンバーグセットを食べたばかりなのに
ポロリと欠けて小さくなった方を口に含むと、その拍子に堪えていた涙が溢れた。
翌日も朝から大学の講義が入っていた。まだ学内にいるうちから電話があって、相手は平嶋さんだった。昨日別れ際に連絡先を交換したのだが、当分かかってはこないだろうと思っていただけに驚いた。嫌な予感がした。出るのをためらったが、無視した所でまたかかって来るだろうという諦めも沸いた。
「新開です」
出ると、
「平嶋です。今、お時間大丈夫ですか」
という神妙な声。まだ講義が残っていることを伝えると、
「もう一度、新開さんにお話をお伺いしなくてはならなくなりました。出来るだけ早急に」
と平嶋さんは言った。昨日から寝ていないのか、声に覇気がない。もともとないが、色濃く疲労感の滲んだ声だった。
「私はいいですけど。あの、店長はどうなるんでしょうか。話せる範囲で教えていただくことは出来ませんか」
「残念ですが今は何も言えません。捜査に直接関わることですから」
「店長が、本当に下の階の住人を殺したんですか?」
「ですから」
「もしかして、お子さんも?」
「それはないです」
「良かったッ!」
「あ、いや」
思いの他大きい声が出て、私は周囲の生徒らに好奇の目を向けられた。ひと気の少ない所まで足早に移動し、
「聞かれて困ることはありませんから。店長の為になるならいくらでもお話します」
と伝えた。すると平嶋さんは、
「怖くなかったんですか」
ほんの少し、私の誘導尋問に怒った声でそう聞いた。しかし、その聞き方は純粋な問いかけでないような気がした。「怖くなかったですか」ではなく、「怖くなかったんですか」。この、「ん」に平嶋さんなりの意味が込められていると思った。
「私が駆け付けるまで、氷見さんと何を話したんですか?」
「……」
「いくらでもお話しますと言っておいて、何故黙るんです」
「店長は、まだ黙秘を続けてるんですね?」
「……実を言えばそうです」
明日の夜、バイトが終わった後、昨夜訪れたファミリーレストランで落ち合う約束をした。警察に出向かなくて良いのかと尋ねると、その必要はありませんと言われた。一瞬父の顔が過るも、あえてこちらから名前を出すこともなかろうと思い、追及はしなかった。
この日の夜、私の住む部屋に熊澤さんがやって来た。いきなりの訪問だったが、よくある事なので驚きはなかった。それにうちはオートロックの為、唐突に玄関扉を叩かれるようなことにはならない。
電話が鳴って、スマホの画面を見ると午後七時半だった。
「新開です」
「ハロハロ?ゲンキデスカ?」
「和田アキ子」
「新開さん、私今、あなたの部屋の下まで来てるの」
「まるでメリーさんみたい」
「警察から電話があってさ。色々考えちゃって、絶対新開さん落ち込んでるだろうなって。絶対泣いてるだろうなって思ったから、来ちゃった!」
「来ちゃったって。本当に? 今?」
私は声に出して笑った。しかし笑い声に涙が混じって、喉がヘンな音を立てた。
「大丈夫?」
「痰が絡んだだけです。鍵開けるんで、上がって来てください」
「うん……あのさ」
急に電話の声が遠くなった。
「え?」
「実はさ」
熊澤さんが今いるマンションの前に、見知らぬ女性が一人で立っているそうだ。初めは住人かと思った。だが女性は何をするでもなく、通りを背にしてじっとマンションを見上げているという。熊澤さんは呑気にも、「あ、可愛い子がいる」と思ったらしい。
「何それ。放っておいた方がいいですよ」
「なんだけどさ……今さ、新開さんの名前出したらその子、私のことめっちゃ見てくるの。あなたの知り合いなんじゃない?」
「え」
心当たりがないわけではなかった。だがもし私の知っている人物なら、当たり前のように平然とマンション内まで入って来るはずだ。意味もなく路上でじっとしていることなど絶対にない。
「うー、めちゃめちゃ目が合ってるー」
「熊澤さん、もしかして今日、ロリちゃんですか?」
「え? うん、そうだけど」
「だからじゃないですか?」
「いや違うと思うなー」
とにかく、このままオートロックを解除するのは気が進まない為、私の方からエントランスまで降りて行くことにした。
ちなみに、ロリちゃんというのは熊澤さんの趣味から来る愛称だ。彼女は普段からゴシックロリータの衣装に身を包んで街中を闊歩し、国平書店のアルバイト面接にも赤黒のゴスロリドレスで現れた猛者である。氷見店長はかなり面食らったというが、話せばただの真面目なフリーターだった為、その日のうちに採用を決めたそうだ。人は見かけによらない、という典型がロリちゃん=熊澤さんなのだ。
今日も熊澤さんは完全武装だった。メイクまでばっちりなのはさすがだが、表情は普段よりも幾分暗かった。氷見店長の一件が彼女の生活にも暗い影を落としている、そう思った。その分、何とか平常心を保とうとする熊澤さんの頑張りが、バイトの出勤時には身に着けない、レースベールのカチューシャに表れていた。
「ロリちゃん」
普段は彼女を熊澤さんと呼ぶ。だがゴスロリ衣装を彼女が身にまとっている時だけは、親しみを込めて愛称で呼び合うのが私たちの習わしである。
「ごめーん、成留ちゃーん」
顎の下にハートマーク。お決まりのポーズを作って熊澤さんが眉尻を下げた。とそこへ、
「あの、突然すみません」
熊澤さんの後ろから進み出て来る人影があった。深々と頭を下げたのは眼鏡をかけたボブヘアの女の子で、顔に見覚えはなかった。
「どちらさまでしょう?」
問うと、やっぱり知らないんだ、と熊澤さんが大きく目を見開いた。あちゃーという顔で両手を口元にもっていく彼女の隣で、
「私」
その女の子は名を名乗った。「ヨモギといいます」
「え」
私の反応に、え、やっぱり知り合い? と熊澤さんが訝しむ。
「蓬、さんて……もしかして平嶋さんの?」
「はい」
蓬さんは私をじっと見返し、思いつめたような眼差しでこう告げた。「やっぱり、兄のことをご存知なんですね?」

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