
境内の一角に一本の桜の木がある。
寒さが緩む頃、少しずつ花が咲き始め、訪れる者の歩みをしばしば止める。
『もう春ですね』
桜を愛おしく眺めながら、彼女が言った。
花が好きな彼女は、何かが芽吹くたびに私に教えてくれる。私はそういうものに無頓着で、いつも彼女の言葉で季節を感じていた。
そんな愛しい彼女はもうこの世にいない。
すっかり薄暗くなった境内に、桜の花がふわりと舞う。ぼんやりと浮かび上がる白い花びらに、彼女の面影を探った。
もうこの手に触れることができない。
それなのにこんなにも私の心に浸透している。
桜が咲くたび、花が咲くたび、草木草花が芽吹くたびに、彼女を思い出すだろう。
彼女と過ごした日々は、私にとってかけがえのない宝物なのだから。
【END】
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