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蓮は、屋敷と共に捨てられた。
一人娘を自分たちの跡取りと考えていた両親は、娘が不治の病であることを知るとすぐさま養子をとった。いつ死ぬか分からないような者に自分たちの全てを託すわけにはいかなかったのだろう。これまで連に注がれていた愛情は、あますところなく蓮からその養子へと流れた。
心地よかった屋敷は一瞬にして地獄へと堕ちた。食事の際は家族が囲むテーブルを使う事を禁止され、自分の部屋で一人で食べるようになった。通院するための費用は両親が支払ってくれてはいたが、それだけで、付き添ったりだとか身体の心配だとかは一切されることはなかった。少女は何時も一人でお金を握り締め、病院へと歩いて行っていた。
養子がやって来てから蓮はいつも屋敷の庭園で毎日を過ごすようになった。毎日毎日、かつて自分のいた場所から聞こえる複数の楽しそうな笑声を耳にしながら、彼女は一人で庭園の花と戯れていた。
太陽が沈み月が顔を出してもずっとそこにいた。いつまでも、いつまでも。
そうしているうちに気付けば、屋敷内には誰もいなくなっていた。庭園の中、花に囲まれながら立ち尽くし、彼女は思ったそうだ。ああ、自分は捨てられたのだ――と。
僕は、話を聞き終えて思う。
だから、どうした。多くを語ってくれた蓮には悪いが、僕にとってはどうでもいいことである。同情でもしてもらいたいのならば他をあたるべきだ。
僕は、蓮の望みを叶え、幸福をもたらす、ただそれだけ。それ以外に、蓮と僕が関わる必要性はまるでない。
「今日も女の子のところに行くのでござるか?」
「まあ、一応」
昼休み、教室の席で一人パンをかじる僕のもとへ田所君がやって来た。蓮の話をする時、田所君はいつも羨ましそうな視線を向ける。
「毎日毎日楽しそうでござるな」
「別に……」
「もう、付き合ってしまえばよいのに」
「そういうのじゃない」
蓮への好意などまるでない。彼女に会いに行くのはいわば業務のようなものなのだ。給与の発生しない仕事だ。
「はあーあ。小生にも運命的な出会いはないでござるかなあ」
田所君は、深くため息をついてゆっくりと自分の席へと戻っていく。田所君が着席するのと同時に、五時間目開始のチャイムが鳴る。僕は、蓮の事を思い出しながらルーチンワークのように教科書を開き、その横にノートを置いた。
放課後。今日は、面倒な事になった。いつものように教室を出て、屋敷へ向かおうと思ったのだけれど、ある集団によってそれは止められた。
不良集団。
集団と言っても五人だけだ。真っ赤な髪をした男を筆頭に、四人が従っている。
田所君と適当な会話をした後、鞄に教科書を詰め始めようと思ったところで彼らはやって来たのだった。
「今日も幽霊屋敷に行くのかよ、化け物」
不良集団の筆頭は、にやにやとしながら僕に声をかけてくる。彼の後ろには、四人の男たちが同様にしてにやついてる。
「なんでござるか、失礼な輩ですな!」
僕よりも早く田所君が口を開く。語気が強く、敵対心を露にしているような口振りだった。
「化け物って?」
僕は素朴な質問を投げかける。もしかしたら、この男たちはどこからか僕が人間でないことを知ったのかもしれない。僕が人間ではなく、ケサランパサランであることを知っているのは蓮だけだが、そこから情報が漏れることも無きにしも非ずだ(別に秘密にしてくれとも言っていない)。
けれど、本当に彼らの目的がケサランパサランである僕だとしたら、これはまたいささか面倒ではある。街中の知らない人間相手ならまだしも、彼らは隣のクラスの人間たちだ。
これでは、学校中に僕がケサランパサランであることが知られるのは時間の問題である。学校中が、自らの欲を叶えようと僕に近寄ってくるだろう。そうなれば、この学校に身を置く事は今後できなくなってしまう。
「普通の人間はあんな幽霊屋敷に毎日行ったりしないぜ。行く理由があるとしたら、お前もあそこの幽霊と同じ化け物ってことだろ」
どうやら杞憂に過ぎなかったようだ。彼らは何も知らない。幽霊屋敷に出入りしていることが彼らには理解不能なだけだった。理解不能な者を目の当たりにすると、人間はすぐに化け物という呼称を用いたがる傾向にある。
それにしても、この男は何故僕があの屋敷に出入りしている事を知っているのだろう。
疑問には思うが、興味はない。なので、別に聞いたりもしない。恐らく、田所君の声が耳に届いて知ったのだろう、と自己完結する。田所君の話す声は、時折口を塞いでやりたくなるぐらいに大きいのだ。
「あの屋敷にいる女の子も欄君も、人間でござる。そんなひどい言葉、いますぐ訂正して詫びるがよい!」
悪いが、僕は人間ではない。そして、やはり声は大きくうるさい。どちらかというと、不良の言っている事の方が正しいのだ。田所君も何も知らないわけなので仕方がないと言えるのだが、正直なところ少々滑稽じみて見えた。
「ああ? 何を庇ってんだよござる眼鏡。お前も化け物の一員なのか?」
「だから、その化け物呼ばわりをやめろと言っているでござるよ」
「でもよ、見てみろよ。あいつ、やっぱり普通じゃねえだろ」
不良の筆頭が僕に向けて指を差す。場にいた人間が、その指の先に視線を移す。
「こんな状況でなんであんな無表情でいられるんだ? 普通の人間ならありえねえ。自分が責められてる状況なんだぜ? やっぱり化け物なんだよあいつは」
丸い二つのレンズの先から、田所君は少し悲しげな目を向けている。自ら絡んできた不良グループは、銘々怯えた様子を見せている。
――無表情。
それの何かおかしかったのだろうか。面倒臭いことが面倒臭いことを呼びそうで、さらに面倒臭くて早くこのやり取りが終わりはしないだろうか、とただ待っていただけなのだが。面倒臭くさえならなければ、僕にとってはどうでもよいことだ。
「友達を傷つけるのは、許さないでござるよ!」
鈍い音が、教室内に響いた。
田所君の眼鏡は、宙を舞い床に落ちる。それに続いて田所君の本人の体も背中から勢いよく床に叩きつけられた。不良筆頭の右拳が、彼の顔面を殴打したのだ。
「あまり調子こくなよ、ござる眼鏡」
田所君は鼻から血を噴き出しながら上半身を起こす。目力強く、殴った相手を見据え、毅然とした態度は崩さない。
少刻、二人は睨みあう。沈黙。破ったのは不良集団の中の一人、金髪の男だった。
「藤原君、もういいじゃん。時間の無駄だし、さっさと行こうぜ」
「マコ……」
マコと呼ばれた男は、にかっと笑った。ふざけた様子のその笑顔に不良の筆頭も顔をほころばせ、ため息をついた後、四人を引き連れて教室の外へと出て行った。
気付けば、教室内に残っていたはずの他のクラスメイトも既にいなくなっていた。皆、争いに巻き込まれたくはなかったのだろう。
閑散とした教室内に残されたのは、無表情でただ立ち尽くす僕と、ひびの入った眼鏡を拾い上げ掛けなおしている田所君のみだ。依然として、鼻血は止まっていない。
「その、ごめん」
とりあえず謝っておく。田所君が勝手にしたことではあるけれど、僕が事の発端であることはさすがに分かる。
ぽたぽたと鼻から血を垂らしながら彼は、薄く開けた目でこちらを見る。眼鏡が割れたせいでうまく見えないのだろうかとも思ったけれどどうやら違っていたようで、彼は徐々に体を揺らし始め、次第にその揺れ幅を大きくしていく。
血が足らなくなったのだろうか。揺れに揺れて、彼は再び床の上に寝転がることになった。白目を向いて。完全に意識を失っているようだ。
僕は、深くため息をつく。深く深く、腹の底から、心の底からため息をつく。面倒が面倒を呼び、面倒が倍加する。
これから先、田所君と一緒にいるのはよそう、とそう思わされた。
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