虚構の背中

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 「ねぇ、今日は何時まで大丈夫なの? 志保(しほ)ちゃん、パパさんに預けてきたんでしょ。泣いてないかな?」  アイスティーにレモンを浮かべ、ストローでクルクル掻き混ぜながら、高校から10年来の親友セイカが訊いてきた。  私は、窓の景色をぼんやりと眺めていた。  ティーポットの横に置かれた砂時計が、下へ降り積もっていく。  「うん、大丈夫。何時に戻るとか言ってないし」    休日の午後2時。5月のやわらかい日差しが街路樹の緑を通り抜けて、カフェの室内に届く。  窓の外は、一足先に初夏めいた服装のカップルが行き交い、クレープをかじりながら女子高生達が弾んだ足取りで通り過ぎていく。  気付くと時計の砂は、下の小瓶を満たしていた。  まるいメイプルのテーブルにのった、花柄のアフタヌーンティースタンドが煌めいている。  1段目は苺ミルクのロールケーキに、一口サイズのハムとチーズのサンドウィッチ。2段目は香ばしい湯気が立ちのぼる上品な形のスコーンに、滑らかに角が立ったヨーグルト。  カップに紅茶を注ぐと、艶やかな赤色の野イチゴの柄がゆらりと揺れる。  あぁ、なんて幸せなんだ。こんなにもゆったりと、甘くてとろけそうな時間を過ごせるなんて。おとぎ話のお姫さまにでもなったかのような気分──  そう、なるはずだったのに・・    ──私だって、日常を忘れたい時もあるの!   ──忘れたい? ありさは、今のままじゃ幸せを感じれないのか?  ──今のままじゃ、そうかもしれない。    今朝、出しなに志保に泣かれて、夫の隆彦(たかひこ)に引き止められ、喧嘩になってしまった。強引に出てきたものの、後ろ髪を引かれるままここにいる。  3段目のスイーツに伸ばした手を止める。  「ありさ、どうしたの? それ食べたかったんでしょ」  セイカが、半分に割ったスコーンにヨーグルトをのせて頬張る。  カラメル色にしぼんだバスクチーズケーキに、ぽったり垂れた生クリーム。    そう。私はこのチーズケーキを3か月も前から食べたくて、我慢していたのだ。  ずっと憧れていたカフェの9,000円のアフタヌーンティーセット。  イヤイヤ期真っ盛りの娘と戦いながら、手取り16万の隆彦の収入から費用を捻出するには、程遠い夢だった。  不要になったベビーグッズを、コツコツ売りながら貯めたヘソクリで今日やっとそれが叶うのだから。  今朝、隆彦に言ってしまったあのことは忘れちゃおう。今は忘れていい。いや、忘れなきゃ。  私だって、いつも忙しない毎日に埋もれてばかりいられない。

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