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「……どこにでもあるような言い伝えじゃない」
朗々としたマスターの語りを聞き終えると、彼女は訝し気にその悪戯っぽい瞳を覗き込んだ。
「そうだね。きっとどこにでもあった話だろうさ」
「それにこの土地の昔話ってことは、この街の人はみんな知ってるんでしょう?」
温くなったコーヒーを飲み干すと、頬杖をつき、テーブルを指先でトントンと叩く。苛立っているというより、不貞腐れているといった気分だ。
「それはどうだろうね」
マスターの白髭がほのかに揺れた。
「ずいぶん前に市町村合併してしまったからね。
それからは、この店も含めて観光地として整備されてしまった。
赤神村の地域に昔から住んでいた、じいさん、ばあさんくらいしか、知らないだろうよ」
その次の世代くらいまでは聞かされていたかもしれないね。と、蛇足のように付け加えて。
赤神村。
そういえば、マスターの苗字も赤神だ。変わった名前だと思っていたけれど、土地の習わしによるものか。
「今の子どもたちは知らないってことね」
「そうだね。私自身もあえて残すつもりはないよ」
じゃあなんで話題に挙げたのだろうか、と記者としての好奇心が首をもたげる。
「だがこの街に、いや土地といったほうが正しいか。確かにあった歴史なのさ」
歴史。
妙に生々しい物言いだ。言い伝えではなく、歴史。
彼女はどう考えればいいものかと、何の気なしに店内をぐるりと見渡した。
ふと、歴史の産物のような万華鏡が目に入る。そちらのほうに寄っていき、膝を折ってその外観をまじまじと観察した。
だけど――
「万華鏡が日本に伝来したのは江戸時代。
当時は高価な品で、武士や豪商しか手に入れられなかったから、これは関係ないか」
背後で、咳払いのような笑い声があがった気がした。
「さすが東京から来た記者さんは目の付け所が違うね。
そうだね。その事件があった時期とはズレが生じる」
事件。
伝説や伝承、ましてや歴史ではなく、事件。
彼女は中腰で膝に手をついたまま、マスターの意地悪な様子を眺めた。思わせぶりな言動に、解かなくてはスッキリした気分になれそうにない。ただ、意味ありげな態度からすると、当たらずも遠からずだと判断した。
「実際に起こった出来事なんですね」
思わず、インタビュー時の口調になる。マスターは含み笑いを浮かべながら顎を引いた。自分の口から言うつもりはないらしい。
実際に起こった出来事。
言い伝え。
時代の違う万華鏡。
あとは――
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