1.桜舞う青空

1/1
前へ
 /20ページ
次へ

1.桜舞う青空

 正門から校舎に続く道の両側に桜の木が並んでいる。風に乗って舞い散る桜は、いったい何を想って空を舞うのか。私も桜の花びらみたいに美しく散れるかな、そのような物思いにふけながら校舎に向かう。  昇降口にはクラス分けの表が張り出されていた。私の名前は、1年A組の欄にある。  今日から私は、待ちに待った高校生だ。  初めましての教室では、同じ中学校やスポーツクラブなど、顔見知り同士が集まって小さな集団を作っていた。  しかし私は、そのような光景に目もくれず、自分の席に座って本を開く。騒がしい教室でも、本さえ開けば私の心はもう本の中だ。たとえひとりぼっちでも、本さえあれば私はどこでだって生活していける。  私は一般的に『真面目』だと言われる部類の見た目をしている。それもあってか、あえて私に話し掛けてくる人はいない。むしろ、それが良かったりする。  高校入学時の抱負として、私は『友達を作らない』と決めた。友達を作っても悲しくなるだけなのだ。それならば、最初から作らないに限る。  私はそのような強い意志と覚悟を持って、ここの門をくぐったのだ。  意外とひとりの生活は楽しかった。なんの気兼ねもなく、普通に過ごす毎日は別に苦痛でもなんでもない。 そして誰も私には関心を持たないし。それが私にとって、非常に居心地が良かった。  ただし、あの人物に出会うまでは。 ***  私が最も嫌いな科目は体育だ。単に運動音痴なのか、〝あれ〟が原因なのか皆目見当もつかないが、とにかく私は昔から運動が苦手だ。走るなんてもってのほかで、競走系は常に最下位である。  学校生活に向けた様々なオリエンテーションが終わり、通常の授業が開始となった頃、高校に入学して初めての体育が行われた。  「最初だから体育館でランニングをする!」と言い出したその人物に嫌悪感を抱きつつ、私は真面目にランニングに参加した。誰よりも早く息を切らしながら、胸を押さえて走り続ける。しかし、どうしても足が遅い事実が目立ち始めるのだ。  最終的にトップとは6周も差が付き、名簿には〝最下位〟と刻まれる。結局、私ひとりだけが目標を達成することができなかった。  集団からすこし離れて、荒く肩で呼吸をしてその場に座り込む。小さく溜息をつきながら、クラスメイトの様子を見つめていると、あの人物が私の方へ近寄ってきた。 「森野(もりの)未来(みく)。奇跡の足だ」 「……喧嘩を売っているのですか?」 「違うって、褒めているんだよ」 「嫌味くさい。それが喧嘩を売っていると言うのです」  この状況、喧嘩を売っているのは私の方だろう。  そのようなことを想いつつ、目の前の人物を強く睨み付ける。その人は困ったように肩をすくめて、小さく笑っていた。 「ランニングさせてごめんね」 「謝らないでくださいよ。私が惨めに思えるんですけど」 「ごめんって」  わざとらしく両手を重ねて舌を出すこの人物は、体育教師の佐藤(さとう)先生だ。  別に、もう慣れている。これまでも足が遅い私は、散々笑い者にされてきた。正直なところ、いまさら何を言われてもダメージはないのだ。  真顔のままそっぽを向き、開いている扉の方に目を向ける。葉桜に移り変わる途中の大きな木は、風に揺られて大きな音を立てていた。扉の隙間から入ってくる風がまだ肌寒くて、ジャージを着ているというのに鳥肌が立ってしまう。  すこしだけ大きな青いジャージは、簡単に指先まで覆い隠してくれる。成長するかもしれないからとワンサイズ大きい物を用意してくれたのだが、その気遣いが、今は防寒の役に立っている。お陰で指先まで温かい。 「なぁ。今から筋トレをするんだけど、できる?」 「できません」 「やる前から諦めんなぁ!?」 「なら〝できる?〟って聞かないでくださいよ」  先生は吹き出すように笑い、手に持っていたボードで、私の頭を軽く叩いた。だけどまったく痛みを生まないその無駄な行為に、思わず笑いが零れてしまう。 「筋トレさ、後ろで無理せずにやって。できそうになかったら、座っていてもいいから」 「できない気がするので、座っておきます」 「お前な~!! そこはまずやれよ!」  先生は笑いながら、また私の頭を軽く叩いて「集合!」と声を上げる。そして、ステージの方に向かって歩いて行った。  まだ肌寒いのに、佐藤先生は半袖Tシャツにハーフパンツ姿だ。見ているこちらが寒く感じる服装に、私の鳥肌が立つ。  スクワットから始まり、腹筋、背筋と先生は続ける。クラスメイトたちは、先生のペースに合わせて同じ動きをしていた。  しかし私は、案の定付いていけなくて、離脱することになる。最初の2回でもやっただけ上等だろう。そう自己完結させ、集団の隅で体育座りをした。  みんな悲鳴を上げながら回数を増やしていく。私はその様子を、空気のように存在感を消して、ただ静かに傍観していた。  授業が終わって解散になった時、先生は「森野!」と一言叫んで、私の行動を静止させた。それに応えるように立ち止まると、走って来た先生に頭を軽く叩かれる。 「頑張ったね」 「……2回で、褒めてくれるのですか?」 「2回でもいい。挑戦することに意味があるだろ」 「……そうですか」  かつてそのような言葉を掛けてくれた人がいただろうか。  私の隣でニヤッと微笑む先生に向かって、私もそっと微笑み返してみる。何も聞かずとも、私のことを理解してくれる優しい人。  私のことなんて誰も気にせず、放ってくれていたらいい──そう思っていたのに、気に掛けてくれるこの人物の存在が、妙に嬉しく感じる。  運動が苦手な私を褒めてくれた人など、これまでの人生で出会ったことがなかった。だから余計に、嬉しく感じるのかもしれない。  先生と一緒に体育館の外に出ると、校庭側から校舎に向かって、荒く強い風が吹き抜けた。  その風に乗って、数が少なくなった桜の花びらたちが飛んでいく。空高く舞い上がり、青空に浮かぶピンク色が綺麗だ。  幻想的に感じる光景に目を奪われていると、横で先生が小さく笑う。そして私と同じように、先生も青空を眺めた。 「日頃、空なんて見ることがないな」  そう小さく呟いた先生の言葉に対して、私は小さく頷いてみる。  静かな体育館の外で、ふたり黙って、空を眺め続けた。

最初のコメントを投稿しよう!

11人が本棚に入れています
本棚に追加
広告非表示!エブリスタEXはこちら>>