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第三次世界大戦勃発を瀬戸際で食い止めた日本人の元政治家が余命わずかという医師の宣告を受けた。
病院のベッドで寝たきりになった彼になんとか恩返しをしようと、世界中の要人が協力し、最高の「最後の食事の一皿」を提供しようとした。
何が食べたいかと訊かれた彼はこう答えた。
「シチューかな。昔母親が作ってくれたクリームシチュー」
世界中から超一流のシェフが100人呼び寄せられ、彼の記憶に基づいて至高のシチューが供されたが彼は一口だけ食べて毎回こう言った。
「違うな。お母さんの味じゃない」
シェフも世界中の要人も全員頭を抱えてしまった。
そこへ彼の幼少時を知っているという老女が自分ならなんとか出来るかもしれないと連絡して来た。
その高齢女性は昔、町の大衆食堂のオーナーシェフだったため、要人たちは藁にもすがる思いで彼女に調理を依頼した。
その高齢女性は今までの経緯を聞いて呆れた顔をして言った。
「分かってないね。あたしのいう物を全部用意出来るかい?」
いよいよ女性が用意したシチューが彼に供される日が来た。彼女の指示通り、食事の直前から日本の農村の生活音が病室の中に流された。
用水路の水のせせらぎの音。セミやカエルの鳴き声。夕方に母親に呼ばれて家路につく子どもたちの声。科学的に合成された土と草いきれの匂いまで部屋に漂った。
シチューを完食した彼は満足そうに微笑んで言った。
「おいしかった。お母さんの味だ」
数時間後、彼は眠るように安らかに息を引き取った。
後日、一体どんな特別な調理法を使ったのかと、マスコミの記者に訊かれた彼女はこう答えた。
「料理人でもない一般人の味覚なんてそこまで正確で繊細なもんじゃない。子どもの頃の思い出と結びつけてあげたから、そう感じたんだろうよ」
どんなレシピのシチューだったのかという質問に彼女は平べったい小さな箱を見せて言った。
「あんたたちだってよく知ってるだろ。ハウツー食品のインスタントルーのシチューだよ。だいたい彼の世代で母親が一から手作りしたシチューなんてもん、食べた事ある人がいるのかい?」
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