第二章

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 週末、彩乃は久しぶりに実家へ帰った。  電車を降りた瞬間に漂う少し湿った空気と、遠くから聞こえる蝉の声。  どこか懐かしい匂いに包まれて、彩乃は胸の奥が少しだけやわらかくなるのを感じた。  母は玄関先でエプロン姿のまま迎えてくれた。  「おかえり、彩乃」  「うん、ただいま」  靴を脱いで家の中に入ると、床のきしむ音までが懐かしく感じる。  古びたリビングのソファ、棚の上の家族写真。  少しの間だけ、時間が巻き戻ったような気がした。  昼食のあと、母と二人でコーヒーを飲んでいると、テレビで天気予報が流れた。  「そういえば、こっちは夜はずいぶん冷えるようになったけど東京はどう?」    「夜は冷えるけど、日中はまだ長袖じゃ暑い日も多いよ」    もう九月も終わりに近づいているというのに、まだまだ暑さは続きそうだった。  ぼんやりテレビを見ていると、再び母の声が聞こえる。    「ねえ、彩乃、いい人とかいないの?」  「えっ?」    何気ない調子だった。けれど、その一言が、胸の奥に小さな波紋を広げる。  「うーん、別に…いないよ」  そう返したけれど、脳裏に浮かんだのは、凛の笑顔だった。  少し低い声で笑って、何気ない会話の中に優しさを滲ませる彼。  最近、仕事の合間にメッセージを交わすことも増えて、彩乃の日常に彼の存在が溶け込んでいた。 ──でも、それは「恋人」なんて関係じゃない。  (高瀬さんは、わたしのことどんな風に思ってるんだろう…)  マグカップを見つめながら、そんなことを考えていると母の声が飛んできた。    「なに、本当はそういう人、いるの?」  ギクっとしつつも、ぽつりと凛のことを話す。  「さくらの結婚式で会って。最近は、仕事の合間にメッセージをもらったりしてる。…でも、付き合ってもないし、向こうがどう思ってるかも分からないんだけど」  母はうんうん、と静かに頷く。  「でも、彩乃は、好きなんでしょ?」  彩乃は一瞬、息を飲んだ。  母のその一言には、問いかけだけでなく、ほんの少しの期待や優しさも含まれているようだった。  「うん…」  「彩乃がどう思ってるか、ちゃんと自分で感じるのが大事だと思うな。その後どうするかは、彩乃の気持ち次第じゃない?」  (わたしの気持ち…)  「うん…そうだよね。ありがと」  母は静かに聞いてくれて、少しだけ背中を押してくれる。  彩乃は湯気の立つコーヒーを見つめながら、胸の奥が少し温かくなるのを感じた。    夜、自室のドアを開けると、懐かしい香りがした。  窓から差し込む夕陽が、机やベッドカバーを淡く照らす。  彩乃はゆっくりと部屋の中を見回した。  机の上の文房具や、棚に並ぶ本たち。  ベッドに腰を下ろすと、学生時代の思い出が蘇る。  あの頃は、未来がどんなものになるかなんて、少しも分からなかった。  けれど今、就職し、一人暮らしをして、心の奥底では、誰かを大切に思う気持ちが芽生え始めている。  心の中でそっと凛のことを思い出す。  一緒に出かけたときの少し緊張したような笑顔や、照れた顔。  言葉の端々に滲む優しさ。  メッセージがくるたび、心が勝手に高鳴る。  ──高校生の頃に、こんな気持ちになったこと、あったっけ。  忘れていた、淡くてドキドキする気持ちを感じながら、彩乃は目を閉じた。

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