6人が本棚に入れています
本棚に追加
竣介は小さくため息をついた。
会社からの帰り道、遠回りをして町外れの小さな丘へと足を向けた。
「もう、これ以上は無理……」
独り言は風に溶けて消えていった。
草の上に腰を下ろし、空を見上げると、夕陽に染まった雲がゆっくりと流れているのが見えた。
「少し休みたい」
そんなことを口にする自分を、半年前なら情けないと思っただろう。
けれど、今は違った。
こうして雲を見つめていることが、唯一、心が軽くなる時間であった。
竣介は、好きだった瑞希のことを思い出していた。
お互いの価値観が合わなくなって、すれ違いが重なって、最後は会話さえ成り立たなくなった。
別れは必然だったのかもしれない。
二人の関係は、ふわふわと雲のように形の定まらないものだったのかもしれない。
雲を見ながら、竣介はそう思った。
空に浮かぶ雲は、何も答えてはくれないけれど、なぜか竣介の思いを受け止めてくれているような気がした。
高い空の雲が、だんだんと瑞希の顔に見えてきた。
雲のように優しく、柔らかく、そして手の届かない存在だったのかもしれない。
見上げていた竣介の頬に、涙が伝った。
それから数日後。
空は雨雲に覆われた。
数日前、空の彼方、高いところにあった雲は、今日はこんなにも低い。
まるで、自分に向かって降りてきたように見えた。
瑞希が泣いていた時、彼女は低く垂れ込めた雨雲のように、竣介のすぐ近くにいたはずだった。
晴れの日の雲も、雨の日の雲も、どの雲も瑞希だったのだと、竣介は今更ながら気づかされた。
「僕は、君の空にはなれなかった」
瑞希が求めていたのは、広い空のような包容力だったのかもしれない。
竣介は、彼女の全てを受け止めるほど器の大きな人間ではなかったことを後悔した。
明くる日。
雨はすっかり止み、空は青さを取り戻していた。
竣介は、あの丘に一人で立っていた。
風が頬を撫でていく。
空を見上げると、雲はゆっくりと薄く伸びて、やがて二つに分かれ、別の方へと流れていった。
その動きは、別れそのもののように見えた。
竣介は静かに息を吸い込んだ。
澄んだ空気が肺の奥まで入っていく。
「ありがとう、瑞希」
彼女への感謝の言葉が自然に口をついて出た。
あの頃の自分は、瑞希を失うことを恐れていた。
彼女が変わっていくことを受け入れることができず、必死に過去の姿ばかりを追い求めていた。
でも、雲は形を変える。それが雲の美しさなのだと、今なら分かる。
空の奥で、新しい雲が生まれていた。
まだ小さく、ほとんど見えないような薄い雲だった。
竣介は不思議と前向きな気持ちになっていた。
丘を下る道、それは見慣れた風景のはずだったが、今日は何かが違って見えた。
青く、果てしない空の上で、雲は静かに流れていた。
< 了 >

最初のコメントを投稿しよう!