私の大事なぬいぐるみ
私の手の中には、古ぼけた小さなクマのぬいぐるみがある。
手垢のせいで黄ばんだ布。ほつれた丸い耳。
片方のボタンの目が外れかけたこのクマは、私の大切な宝物だ。
私が物心ついた頃、母は長期入院していた。
ある日、父と共にお見舞いに行くと、母は針と糸で布を縫い合わせていた。
いつも優しく穏やかな母が、まるで悪鬼に取り憑かれたかのような形相で一心不乱に手を動かしていて、何だか酷く怖かった。
父も私と全く同じ感想を抱いたらしい。
恐る恐るといった様子で父が声をかけると、母は長い睫毛を下ろして、ぱちりと瞬きした。
そして、夢から覚めたような顔で、病室の入り口に立つ私たちを見た。
「何をしているんだ?」という父の質問に、母は「まーちゃんのための贈り物を作っているのよ」と微笑んだ。いつも通りの母の笑顔を見て、私は心底ホッとした。
ぬいぐるみが完成した日、母はまるで人生をかけた大仕事を終えたかのように、痩せこけた顔で晴れやかに笑った。
「私がいなくなっても、きっとこのクマがまーちゃんを守ってくれるから。大事にしてね」
そう言って、母は完成した愛らしいクマを私の腕に抱かせてくれた。
母はその直後、私が小学校に上がる前に亡くなった。
小学二年生のときのことだ。
「何そのクマ。ダッサ!」
クラスの意地悪な男子が、カバンに下げたクマのぬいぐるみを見て嘲笑した。
ムッとした私は「ダサくなんてない」と言い返し、ぬいぐるみを抱きしめた。
その瞬間、感情の高ぶりが、スーッとぬいぐるみに吸い込まれていくのを感じた。
その日の放課後、彼は学校の階段から落ちて足の骨を折った。
最初は偶然だと思った。
だが、次々と偶然は積み重なった。
中学のとき、私をイジメたクラスの女子グループが全員不幸になった。
女子グループに取り込まれて私に暴言を吐いた元親友の幼馴染は病気になって入院した。
一人は家が火事になり、一人は通り魔に刺された。
イジメを扇動していたリーダー格の女子は事故に遭って死んだ。
どれも私の知らぬところで起きたことだったが、私の背筋は冷たくなった。
気づいてしまった。
クマのぬいぐるみを抱きしめるたび、私の中の感情――怒り、悲しみ、憎しみ――がぬいぐるみに染み込み、私に負の感情を抱かせた相手に跳ね返るのだと。
母はこのぬいぐるみに、娘への愛だけでなく、私の感情を形として放つ力まで縫い込んでいたのだろうか。それが幼かった私を守る武器になると信じて?
死ぬ間際、私にぬいぐるみをくれた母の顔を思い出す。
あのとき母が瘦せこけていたのは、本当に病気『だけ』のせい?
もしかして母は己の魂を削って、このぬいぐるみに何か、娘を守るための呪いでもかけたのかも……?
「そんなわけないよね……呪いなんてあるわけないじゃん、馬鹿馬鹿しい……」
口ではそう言いつつも、笑い飛ばすことはできなかった。
血走った目でぬいぐるみを凝視し、真剣そのものの顔でぬいぐるみを縫っていた母の異様な姿を思い出すと、身体が震えた。
混乱と恐怖に駆られた私はぬいぐるみを箱の中に入れ、クローゼットの奥に押し込んだ。
それから布団の中に潜り込んで、ぬいぐるみのことは忘れようと努めた。
本当は捨てるべきだったのかもしれないけれど、母の形見をそう簡単に捨てることなんてできるわけがなかった。
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