月日は流れ、社会人になって初めて彼氏ができた。
相手は同じ会社に勤める三歳年上の男だった。
私は誠心誠意彼に尽くした。
休日には彼のマンションに行って甲斐甲斐しく家事をし、純潔までも捧げた。
「まーちゃんは可愛い」「料理も掃除も手際が良くて惚れ惚れする」「まーちゃんが彼女で俺は本当に幸せ」「まーちゃんの手料理は世界一美味しい」……等々、たくさん褒められて有頂天になった。毎日が夢のようだった。
でも、ある日、ショッピングモールで彼が同僚の女と腕組みして歩いているところを見た。見てしまった。
急いで同僚女のSNSをチェックしてみると、匂わせるような写真がたくさんあった。
お揃いのペアリング。男物のシャツ。顔は映っていないけれど、お洒落なカフェの向かいの席に座っているのは間違いなく彼だ。ドリンクを持つ手には、彼と同じ場所にホクロがあった。
ベッドに横たわる男を撮った写真の下には『性欲処理機能付きの家政婦扱いされてることに気づいてない、可哀想なMさん見てる~? 彼ならいま、私のベッドで寝てるよ~w』などというふざけたコメントがあった。
コメントの発言者は、写真を投稿した張本人である同僚女だった。
目が眩むほどの怒りを覚えた。
「恥ずかしいから会社では付き合ってることは内緒にしてて」と彼に言われた意味がわかった。
彼にとっては私こそが浮気相手で、彼女こそが本命だった。
二人して私を馬鹿にし、笑い転げていたのだ。
――許せない。
彼への溢れんばかりの愛は、臓物を焼くほどの怒りへ変化した。
気づけば私の手はクローゼットの奥へと伸びていた。
――彼とあの女が不幸になりますように。
ぬいぐるみが潰れるほど強く抱きしめたその日の夜、同僚女はご自慢の顔に大火傷を負った。
上司の話によれば、料理中に突然炎が噴き上がったそうだ。
彼は発狂してマンションから飛び降り、意識不明の重体。
運よく生き延びることができても、恐らく一生ベッドから起き上がれないだろうとのこと。
上司や同僚たちは同情しきりだったけれど、ざまあみろとしか思わなかった。
あれだけ深く愛していたのに、もう愛情なんて欠片も残っていない。
この胸に在るのは身を焦がすほどの苛烈な憎しみだけ。
――私は善意には善意を返すし、悪意には悪意を返すわ。因果応報よ。私を不快にさせる奴は全員まとめて不幸になればいい。
私はぬいぐるみを遠ざけるのを止め、常に手元に置いておくことにした。
私が抱きしめるたび、ぬいぐるみは私の負の感情を吸収し、災厄に変えて放った。
私に対する小さな嘘や悪意のある言葉、心無い仕打ち――そのすべてが連鎖して相手を壊していく。
いつしか私の周囲から悪人はいなくなった。
誰もが引き攣った顔で私のご機嫌を窺うようになったけれど、この現状に私は満足している。
私は誰も傷つけない。
だから、あなたたちも私を傷つけないでちょうだい。
大丈夫、無害な相手には私も無害を貫くから。
夜、布団の中でぬいぐるみを抱きしめて、私は微笑む。
このぬいぐるみは、母の愛。
死んでなお、娘を傷つける者に罰を与えようとするほどの強烈な想い――それが愛ではなくて何なのだろう?
――お母さん、ありがとう。
このぬいぐるみがあれば、私は無敵だ。
結局同僚女は自殺し、元カレもまたあれから半年後に死んだらしいけれど、愛する人と幸せな新婚生活を送っているいまの私にはどうだって良い話だ。
夫は毎晩のように私を求め、朝が苦手な私の代わりに早起きして朝食やお弁当を作ってくれる。
元カレのように口先だけの言葉だけではなく、態度で愛を示してくれるから、私は仕事で疲れた体に気合いを入れて二人分の夕食を作り、お風呂の準備を整え、夫を支える良き妻でいられる。
ああ、共働きで生活費も家事も折半なんだから、妻が夫を『支える』というのは違うかしら。共に『助け合う』、そのほうがしっくりくるわね。
「最高の男を捕まえたじゃないか」
電話越しに近況報告すると、父は笑った。私の誕生日に内緒で有給取得して部屋を飾り付け、夕食を作って待っていてくれたエピソードが父に夫を「最高の男」認定させたみたい。
「ええ、私いま、とっても幸せよ」
喋りながら、私はリビングの棚の上に飾っているクマのぬいぐるみを見た。
夫が誠実に私を愛してくれている限り、あの子の出番が来ることはない。
でも、もしも夫が私の愛と信頼を裏切ったら……そのときは、よろしくね?
手垢のせいで黄ばんだ布。ほつれた丸い耳。
片方のボタンの目が外れかけたあのクマは、私の大切な大切な宝物。
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