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夜を走る電車
薄青く透明な電車が走る。
ふつうの電車の合間にまぎれるように、一夜に一度だけ。
夜の仕事を終えての帰路、人がまばらな乗り換え駅のホームに立つと、時折、線路を隔てた反対側のホームに沿って、カタタンと静かな音を立てて走っているのを見かける。
路面電車のようなゆっくりとした速度で、駅に停車することなく、なめらかに過ぎ去っていく二両編成のその電車に、いつか乗ってみたいと思っていた。
窓の外から見える車内に、乗客はいない。
薄い雲に光をおさえられた月のような、落ち着いた象牙色の明かりだけがある。
運転席には、いつも濃紺色の人影がひとつあった。
黒に近いのに、青さを失わない色。夏よりも高く見える、秋の夜の空のような色が、僕は好きだった。
顔も見えないそのひとと、時刻表にあてはまらない電車を見ることができた日は、煩雑な仕事に疲れた心がやわらいだ。
僕は深夜から昼近くまで眠る。
僕が眠っているあいだ、あの電車はどこにいるのだろう。
朝の光に姿が消え入りそうになりながら、遠くを走っているのか。
それとも、僕と同じように、車両基地で眠るのか。
あのひとは。
いつか、あの電車に乗ることができたなら、あのひとと言葉を交わせるだろうか。
僕があのひとを見ていたように、あのひとも僕を見てくれるだろうか。
離れた場所にいる友人のような眼差しで。
それから、いつにもまして多い仕事量と人の声に悩まされる日々が数か月続いた。帰りの時間も遅くなる。僕はうつむいて歩くことがふえた。
秋は過ぎて、冷たさが深まる冬になっていた。
どこにもたどりつけない気がした夜の中、仕事帰りの乗り換え駅で電車を降り、ホームに立つ。
不意にパイプオルガンの音が短く聞こえた。
驚いて顔を上げると、線路を隔てた反対側のホームに、薄青く透明な電車が停まっていた。
そしてゆるやかに発車していく。
窓からこぼれる月のような光と、濃紺色の人影は、以前と変わらなかった。僕の好きな、秋の夜の空の色。
オルガンの音は、発車ベルだった。
車内に乗客はいない。
すれちがう友人に向けたあいさつのように鳴らされた音が、耳に残る。
遠ざかる電車の姿を眼で追いながら、僕にたどりつける場所があるように思えた。

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