人形つかいと操り人形

1/5
前へ
/5ページ
次へ
 人形劇場の扉は、いつもより少し重く感じられた。  古びた木製の扉には、幾重にも塗り重ねられた濃紺のペンキが剥がれかけており、真鍮の取っ手は長年の使用で黒ずんでいた。  ヒビキは肩にかけた布製の鞄と、脇に抱えた台本の束を持ち直しながら、今日も扉を押し開けた。  きい、と扉が軋む音が薄暗い廊下に響く。  小さな稽古場に足を踏み入れると、いつもの木の匂いと、古い布と埃の混ざった独特の香りが漂っていた。  天井から吊るされた裸電球が一つ、静かに黄色い光を放っている。  窓は舞台の奥に一つだけ。  すりガラス越しに外の街灯の光がぼんやりと滲んでいた。  舞台の中央には、木製の人形「コハル」が座っている。  出番を待つ役者のように、背筋を伸ばして椅子に腰掛けている。  少女の形をしているが、その表情には魂が宿っているかのようなリアルさがあった。  職人が何ヶ月もかけて彫り上げたのだと聞かされている。  その顔は、微笑んでいるようでもあり、何かを訴えているようでもあった。  見る角度によっては、表情が変わった。 「今日もよろしく、コハル」  ヒビキは荷物を舞台袖の小さなテーブルに置き、いつものように人形に微笑みかける。  誰もいない稽古場で相棒に挨拶をする。それがヒビキの一日の始まりの儀式だった。  挨拶をしても、人形は微動だにしない。けれども、その静けさが、かえって存在感を際立たせていた。言葉を発する必要がないほど、すべてを理解しているかのように見えた。  ヒビキは鞄から台本を取り出し、広げた。  来週の公演に向けた新しい劇の台本だ。  一読するだけで、ヒビキはすべてを完璧に理解した。 ──孤独な少年が、古い人形に心を通わせていく物語。  稽古を始める。  ヒビキがセリフを読み、人形を動かす。  コハルの手を持ち、足を揃え、少し首を傾ける。  一つ一つの動作には、ヒビキの魂が込められている。人形劇とは、そういうものだ。  操る者の心が、糸を伝わって人形に宿る。  だからこそ、観客は木の塊に感情を見出すのだ。  観客のいない舞台で、二人だけの演劇が繰り広げられる。  ヒビキは台本を読みながら、コハルを動かす。  少年役のセリフ、人形役のセリフ。  両役を一人でこなす。 「……あれ、今、動いた?」  ヒビキは息を呑んだ。  コハルが、ほんの少しだけ頭を傾けたのだ。ヒビキが操作していない方に。  木の節が音を立てるでもなく、ただ、確かに、目がこちらを見た気がした。

最初のコメントを投稿しよう!

11人が本棚に入れています
本棚に追加
広告非表示!エブリスタEXはこちら>>