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「そうだね。しばらく見ていたからわかってたよ」
やっぱり――。心の中でつぶやく。ノリで話しかけて来た訳じゃなかったのだ。
「いくらてふてふで顔を見たことがあるって言っても、そんな女に声をかけようなんて普通思わないですよね? むしろ避けますよ。それなのに、どうして?」
早口でそうたずねると、サトシさんはうーん、と唸ってから照れくさそうに微笑んだ。
「だってさ。ちとせちゃん笑ってたでしょ、散々泣いたあとに。あの泣き笑いの顔が、妻に似ていたんだよね。それを見たらなんだかほっとけなくて、気がついたら話かけちゃってた。お節介オジサンでごめんね」
胸の奥から、出来たてのわたあめみたいに、甘くて優しいものがふんわりと広がっていくのを感じたのに。うまく言葉を見つけることができない。ただ首を横にブンブン振るだけ。
「ちとせちゃんはこれからてふてふ行く?」
サトシさんは気恥しくなったのか、とってつけたような調子でそう言たずねてくる。
「そうですね。私もモーニング、食べに行こうかな」
私もどこか調子ハズレな声でそう答えると、サトシさんは笑顔で頷いた。
「じゃあ、また。てふてふで会いましょう」
「あ、はい。てふてふで」
サトシさんは軽く手を振ると、それこそ蝶々が飛んでいくように、朝日が差し始めた緑のなかを、ふわふわと軽い足取りで歩いていく。その背中にはデカデカと描かれた『俺だよ』。
Tシャツ、両面『俺だよ』だったのか。ゲシュタルト崩壊する勢いで、その文字を凝視してしまう。『俺だよ』が次第に遠ざかって見えなくなったとき、お腹の底から込み上げてきたのは、なんともいえない可笑しさだった。
我慢できずに声を出してゲラゲラ笑ってしまう。そうしたらまた、近くをとおりかかったランナーが気味悪そうに、私を避けて走っていく。けれどもう、そんなことはどうでもよかった。先程までとは種類の違う涙を流しながら、笑いが収まるのを待つ。
私もシャワー浴びて、てふてふにモーニングを食べに行こう。今日のTシャツにはなんて描いてあるんだろう。それを確かめに行かなきゃ――そう思いながら。
おわり

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