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1.小麦しだい
駅前商店街の片隅にその店はある。
日焼けした紺色のオーニングには、白のゴシック体で「ベーカリー pas de chat」と店名が書かれている。クリーム色の外壁は色褪せて雨水が垂れた跡が残っているものの、どこかその古さが心地よい。
ガラス窓には朝の光よりも少し温かい照明が吊るされており、香ばしい小麦の香りを漂わせながら行儀よく陳列しているパンたちを優しく照らした。
猫のマークが掘られた真鍮製のドアノブを引けば、チリンチリン────まるで首輪についている鈴のような軽やかな音色のドアベルが響いて、カウンターで眠る店員がちらりと目を向けてくるはずだ。
「いらっしゃいませ」
代わりにもう一人の店員が愛想良く挨拶をする。常連客にはそれが日常で、文句を言う客はいない。
「おはよう、穂咲ちゃん。クロワッサン焼けてる?」
「おはようございます! ちょうど焼きたてですよ」
「穂咲ちゃーん、今日のおすすめ何?」
「今日は明太フランスがいい感じ!」
焼きたてのパンを並べてはレジを打ち、客の会話にも愛想良く返す。くるくるとよく動くその店員とは正反対に、もう一人の店員はまだ眠ったままだ。

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