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紅葉スポットへ向かうべく、一台の車が山道を走っている。木漏れ日の途切れることがない山道の両サイドには、既に見頃を迎えた山々の紅葉が目に眩しい。自分たちの人生よりも、山々の方が先に色づいてしまったな──カエデは少し複雑な心境で、ハンドルを握っていた。アキもどこか心許ない気持ちを抱えて助手席に座っている。
「この旅行が終わったら、本腰を入れて職探しをしないといけないな」
「そうだね。どこか住み込みで働ける良い職場が見つかればいいんだけど…。調理学校を卒業するまでには決めないとね」
「せっかく二人とも調理師免許を持ってるから、それを活かせるいい働き口が…」
「あっ、ちがっ…そっちじゃないよ!」
アキはカエデの会話を遮ると、慌て気味にカーナビを凝視した。
「おっと、やってしまった。これだけ道が狭いと引き返すのは無理だな…。後ろから車も一台来てるし、しばらくこのまま進むしかないか」
道は険しく左右にうねりながら、山頂を目指しているようだった。どんどん目的地から離れていくので、両サイドで笑う紅葉を楽しむ余裕も無い。それでも道を間違えてから10分ほど走行して、やっと道が開けてきた。カエデが路肩に止めようとハンドルを切ろうとしたその時。
「あれ?あの看板…」
アキの指差す方を見ると、見慣れた光景が目についた。
「おー!すごっ!!あのアニメのオープニングに出てくる看板そのものじゃん」
そう、そこは二人が大好きなアニメの聖地だったのだ。
看板を通り過ぎると、海を見渡せる高台に広々とした敷地が広がっている。立派な建物の入り口には、山奥には似つかわしくない派手な暖簾が垂れていて、アニメのキャラクターが描かれている。きっと知る人ぞ知る穴場なのだろう、駐車場には数台の車が停車している。後続車もここが目的地だったようだ。
車を停めて入り口へ向かうと、猫が出迎えてくれた。まさに招き猫だ。ゴロンと地面に寝そべって、アキがしゃがみ込みその体を優しくなでると、のどをグルグルと鳴らす音が耳に心地よい。
「なんだかすごく雰囲気のあるお店だね。ランチもやってるみたい。ちょっと中に入ってみよっか」猫を撫でながらそう言うアキの声音は、どこか艶めいて響いた。
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二人が入店すると、そこには全面ガラス張りの空間が広がっていて、数人のお客がガラス越しにランチを食べている。窓際の空席に二人並んで腰掛けると、視界に羊雲を携えた青空と真っ青な海が広がって、まるで天空にいるようだった。うっとり見惚れていると、年配の女性が声をかけてくる。
「いらっしゃい。今日はもう日替わりランチが売り切れてしまって、カレーしかないのよ。でもうちのカレー、評判がいいからおすすめよ」
「じゃあ、二つお願いします。ここってアニメの聖地なんですか?」
「あら、ご存知ないの?ここが作品のモデルになってから、一気にお客さんが増えてね。向こうの部屋にアニメグッズとか色々あるから、もしよければ案内してあげましょうか」
「いいんですか?是非お願いします。二人ともこのアニメが大好きなんですよ」
ここは彼女が一人で切り盛りしているようだった。しばらくして、二人の前にカレーが運ばれてくる。スパイスの効いたピリ辛キーマカレーだ。二人は目の前に広がる素晴らしい眺望と名物カレーの香りだけで、お腹いっぱいになりそうだった。
食後のホットコーヒーでクールダウンした所で、早速オーナーに案内してもらうことになった。
彼女に促されて隣の部屋に入ると、想像以上のスペースが広がっていて、キャラクターの等身大ポスターや、アニメにまつわる絵画なんかが所狭しと配置されている。圧倒されつつも、二人は興奮のまなざしで物色し始めた。
「気に入ったものがあれば、持っていってもいいわよ。同じモノが結構散在しているのよ」
「本当ですか!ありがとうございます」
アニメファンとしては至福のひとときだ。
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しばらくしてカエデがふと部屋の奥を見やると、一定のスペースにパイプ椅子数台が設置され、ステージには立派なグランドピアノがあった。そのサイドにはギターやベースといった楽器まで置いてある。
「あの…、ここは何のスペースなんですか」
「ここでね、毎晩のように演奏会をするのよ。私のピアノ演奏は絶品よ」
オーナーは世界的にも有名なピアニストらしく、ネットで検索してみると、その功績は一目瞭然だった。
「都会の喧噪が嫌になってね」と笑うオーナーの瞳は、まるで秋の夜空みたいに深く澄んでいた。老後の生活を見越して、全てを捨てて都会からこの地に移住してきたらしい。二人は音楽にも造詣が深かったので、それを聞いてより一層会話に花が咲いた。
「演奏中はね、音楽に合わせてミミちゃんがこの部屋を飛び回るのよ。ほら、今はあそこで休んでるわ」
部屋の片隅にある大きめの檻には、瞬きひとつせずに、こちらの様子をうかがうミミズクがいた。ミミちゃんはここのシンボルらしい。オーナーが一目惚れをして数年前に飼い始めたのだ。
「実はここで民宿も経営していてね。毎晩、宿泊客と一緒に音楽を楽しむの。ただね…私ももうこんな歳だし、今従業員を募集中なのよ。アニメの聖地になってから段々とお客さんも増えて、一人で回すのがきつくなってきてしまって。かといってこんな僻地に働き手のニーズはあまりないし、困っているところなのよねー」
まるで棚ぼたみたいな運命──こんな素敵な場所で、お互いの願いがぴったり噛み合うなんて、二人は信じられない思いだった。
「あの…、実は僕ら二人とも調理師免許を持っていて、住み込みで働ける場所を探していたんです」
アキと頷き合った後、カエデが切り出した。
「ここで働かせてください!」
二人して頭を下げると、オーナーは突然の展開に驚きつつも、二つ返事でオッケーしてくれたのだった。
自分たちの大好きなアニメの聖地である上に、食堂は抜群のロケーション。しかも毎晩のように演奏会まで開かれる。二人にとって申し分のない場所だった。
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紅葉スポットに行くのは翌日に回して、急遽民宿に泊まることにした二人──夜の演奏会では、トリオのオンステージとなる。オーナーのピアノに、アキのベース、そしてカエデのギターボーカル。二人は元々同じバンドで音楽活動をしていたことがあったのだ。ドラムがなかったのはもったいなかったが、三人のアンサンブルは宿泊客を魅了し、盛大な拍手と共にお開きとなった。
演奏会の後、食堂に併設されたテラス席に座り、二人仰ぎ見る夜空──秋の夜風は少し肌寒かったが、心はぽかぽかして仕方がない。その日はたまたま流星群の見頃で、数えきれないほどの流れ星が、二人の門出を祝福するかのように流れては消えていった。
もしもあの時、カエデが道を間違えていなかったら──こういった『棚ぼターニングポイント』は、今もどこか別の誰かを待っているのかもしれない。
《了》

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