名前のない感情

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 食事を口に運んだ瞬間、味付けが強すぎないことに気づいた。  出汁の効いた、素朴な和食だった。  空腹の身体には驚くほどやさしい。  噛むほどに、張り詰めていたものが少しずつ解けていく。  胃に落ちていく感覚が、はっきりと分かる。 「美味しいです」  思わず零れたその一言は、飾りのない本音だった。  気取らず、無理もなく、相手の体調だけを考えたような味。  月野は箸を置く事なく、静かに食事を続けた。  しばらくは、食器の音だけがテーブルに落ちる。  その沈黙を破る理由を探すように、一度だけ息を整えてから、 「……今日は、大変だったんですか?」  箸を置いたあと、汐華が控えめに尋ねる。 「少し、予定外のことがありまして」  それ以上は話さなかった。  深く聞かれないことも、分かっている。 「そうだったんですね」  それだけ言って、汐華は頷いた。  労わりすぎない、その距離感。  月野は、すでに感じていた事を改めて意識した。  この人は、近づきすぎないのにちゃんと気にしている。  踏み込まないのに、手を差し出す。  ───このままだと、まずいな。  自分にとって、あまりにも。  食事を終え、皿を重ねる。 「片付けますね」  そう言って立ち上がる汐華を月野は止めず、代わりに自分の皿だけを静かに差し出す。 「ごちそうさまでした」  その言葉に、汐華は少しだけ驚いたように目を瞬かせたあと小さく笑った。 「お粗末さまでした」  短いやり取り。  けれど、月野の中では十分すぎる程だった。  この人の優しさを、必要以上に受け取ってしまう。  それが何を意味するのか考えないようにしても、考えてしまう自分がいる。  これ以上踏み込めば、ただの同居人という位置には戻れなくなる。  だからこそ、意識しないふりをする必要があった。    翌朝から、必要以上に近づかず一定の距離を空けるようにした。

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