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「…かさん。…いかさん」    呼ばれた気がして、私の周りを覆う膜がすっと破れたような感覚になる。 「…怜風さん?」 「はい?」 「もう少しで11時ですよ?そろそろ帰りませんか?まだ徹夜するほど立て込んではいないでしょう?」 「ええ。そうですね。それはそうと、もうそんな時間?」  集中すると周りが見えなくなり、周囲の音も聞こえづらくなる。それは昔から変わらない。完全に自分の世界に入ってしまうからだろう。 「お互い集中していましたね。今日はまた余震が起きるかもしれませんから、早めに帰る方が安全です。いくら怜風さんが逞しくても、用心するにこしたことはありませんから」 「逞しくても」という表現に朝の足払いを連想して、申し訳なさに俯きがちになってしまう。 「ああ。すみません。朝のことじゃないですよ。普段僕が感じていたことですから。心身ともに強いなって」 「本当にすみませんでした」  いやいやと首と手を振り、笑いながら鈴本君は言った。 「怜風さんは、武道の競技者…ではないんですか?」 「はい。幼いころから稽古はしていましたが、大会に出たことはないんです」  飽くまでも護身のためで、競技として習ってはいなかった。何か考え事をしていた風情の鈴本君が、頷きながら言った。 「それは勿体ない気がしますが、きっと正解だったんでしょうね」  当時は万が一の時逃げられるように、とか相手の動きを抑えるようにとか、必死で覚えさせられた。無力だった自分のことを理解していたから、嫌がること無く続けられた。  ただ、妹は私とよく似ているけれど私のように異性に関して心配をされたことがないように思えた。朗らかに日々暮らしている妹を見てほっとするとともに、私には悪いものを引き寄せる何かがあるのか、とも思う。 「帰りましょうか」  鈴本君とは帰りが同じ時間帯になることが多く、私の最寄り駅まで一緒に帰ることもある。ちょうど鈴本君が乗り換える駅だからだ。最低限の警戒はしつつも、信用できる人物だと思う。パーソナルスペースを侵されることも、言葉遣いや話題で嫌な思いをしたことも全くない。そうして過ごしてもう3年目になる。  私たちは階段で挨拶をして別れるのが常だ。 「お疲れ様でした。本当に気をつけて」  そう言って鈴本君は階段を駆け上る。何となく背中を見送って私が改札に向かって足を踏み出した時だった。すぐ近くで声がした。 「…怜風さん」

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