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おばあちゃんの人形相手に苦戦しているのか、クロムはアイリスを追いかけて来なかった。後方で構えていた軍人たちとも鉢合わせずに済んだらしい。
アイリスを背負ったくまくまおとこは町に向かおうとせず、反対方向の街道へと進んでいった。国境へと向かう、アイリスが通ったことのない道だ。
しばらく進んでいると、街道の脇に、幌の付いた一台の馬車がとまっているのが見えた。くまくまおとこは、周囲を気にしながらその馬車の荷台に身体を滑り込ませた。
「遅くなった」
「……ほんと、待ちくたびれたよ」
馬車の荷台の上、汗だくの姿で二人の到着を待っていたのは、針鍛冶のイシヤコだった。
ふぅーっ、と深く息を吐き、広げた指の先を名残惜しそうに見つめる。
「……じゃあね、シーナ婆」
ぷつん、と何かが切れるような音がした。
そして、馬車は走り出した。
◇
「シーナ婆に連れられて軍の施設を出たのは、あたしが八歳の時だった。『人形遣いの糸』を埋め込まれて、そのまま国の魔女になる予定だったんだけど、高熱で死にかけていてね。軍医からはもうダメだろう、って思われていた。まあ、そのおかげで上手く逃げ延びることが出来たんだよ。そうして森でシーナ婆と暮らし始めた。あの人は厳しかったよ。教えてくれるように頼んだのはあたしだけど、人形を操ることにかけちゃ、鬼だった。魔女なんてもんじゃないね」
そう言ってイシヤコはケラケラと笑った。
揺れる馬車の中で、アイリスは長座で腰を下ろしている。
軍の男たちに分解された脚を、くまくまおとこが吟味していた。工具を広げているところを見ると、どうやら機械いじりの知識もあるようだ。
「イシヤコが『魔女の心臓』を持っているの?」
アイリスは尋ねた。
クロムがそう言っていたからだ。この国にはクロムの他に魔女がいない。おばあちゃんの体に魔女の心臓が無かった以上、それを持っているのは別の魔女、つまりイシヤコのはず。
「いーや、あたしはそんなもの持ってないよ」
イシヤコは頭を振る。
そして、ゆっくりとアイリスの胸を指さした。
「心臓はそこにある。外から操り糸に繋がれていなくても、自分自身を動かすことが出来る魔法。思考しながら成長する完全自動人形。それがあんたなんだよ、アイリス」
アイリスは、ぱちくりと瞼を瞬いた。
自分の胸にそっと掌を当てる。その奥に、トクトクと脈打つものがある。
「魔女の糸はね、命そのものなんだ。生贄にされた魔女たちの命。糸に適応できずに失われてしまった命。武器を持たせられた人形が奪った命。そうした沢山の命が束になって、魔女の心臓という形を保っている。だから、無くならないんだよ。国が魔女を戦争に使う限り、命は失われ続けるし、心臓は大きくなり続ける。シーナ婆は自分に引き継がれていた魔女の心臓を、どうにか無に帰したいと考えた。だから、こいつの親父である人形技師と協力して、二つの人形を作ったんだ」
こいつ、とイシヤコが顎で指し示したのは、オーバーオールを着たくまくまおとこだった。アイリスがジッと見つめると、男はどこか気恥ずかしそうに視線を伏せる。
「宿主が亡くなると、魔女の心臓はすぐ近くに居る別の人間の身体へと移動する。そうして、周囲で失われていく命を吸いながら、長い時を渡り歩くんだ。病により死期を悟ったシーナ婆は、自分が亡くなる瞬間に、魔女の心臓を『騙す』ことにした。森の家で同居する少女……つまりあたしに似せて造った精巧な人形をベッドの隣に用意させたんだ。
シーナ婆の目論見通り、魔女の心臓は、横たわる人形をあたしと勘違いして、その中に入り込んだ。人の胸の中では呪いを振りまいて肥大を続ける魔女の心臓だけど、人形の胸の中にある内は、その人形を動かすためだけに糸を消費し続ける。どれくらいの時間が必要なのか分からないけれど、あんたの中に心臓があり続ける限り、それはいつか、確かに糸を使い切って機能を止める」
機能を止める、という言葉を発した瞬間、イシヤコの瞳がわずかに陰った。
それはつまり、魔女の心臓で動いているアイリスにも動きを止める瞬間が訪れるということだ。人はそれを「死」と表現する。
「おばあちゃんは、死んじゃったの?」
アイリスは尋ねる。
その胸に深々と突き刺さった剣、白く濁った瞳。崩れ落ちるように倒れていったおばあちゃんの姿は、今も鮮明に思い出すことが出来る。
「……ああ。正確には、もうずっと前にね。魔女の心臓が入り込んで動き出した赤子同然のあんたの世話をする手が必要だった。けれど、心臓を騙し切れる保証がないうちに、他の人間を近くに置くわけにもいかない。だから、あたしはシーナ婆の指示で『死せる魂の定着』と呼ばれる秘術を使った。シーナ婆が亡くなる瞬間、似せて造ったからくり人形に、魂を定着させたんだ。あの人の魂は、つい先刻まであんたを守ろうとしていたんだよ」
壊れかけた身体で剣を扱うおばあちゃん。いや、その姿をした人形。
軍に拘束されていたとき、アイリスは『魂が定着していようとも人形は自由に動くことはできない』という話をクロムの口から聞いていた。
おばあちゃんはずっと、自由には動けなかったはずなのだ。それなのに、森の家では杖を突いて歩き、針と糸で縫い物までしていた。
アイリスはハッと気が付た。おばあちゃんの身体はずっと、遠くから操られていたのだ。町に住むイシヤコの手によって。
「……刺繍、上手だったのね」
アイリスがそう言うと、イシヤコはニッと笑った。
「ああいう繊細な作業はかなり難しくてね、修行になるのさ。私も随分と人形の扱いがうまくなっていたみたいだ。おかげで、あのクロムって男を足止めすることができたよ」
アイリス、イシヤコ、くまくまおとこ。
二人と一体を乗せた馬車は、一定の間隔で揺れながら街道を進む。
「あの人、追いかけてくるかな」
「さあ、どうだろうねぇ。なんにせよ、もうあたしらは行くしかないのさ」
「……行くって、どこへ?」
「どこへでもさ。サマリマールの家は馬車を買うために売っちまった。どうせ帰るところはない。だったらいっそ自由に旅をしてもいいじゃないか」
ハハッ、とイシヤコは笑って見せる。
家を売った、だなんて。本当にそれでいいのだろうか。
不安に思って正面のくまくまおとこの顔を覗くと、どこか楽しそうに微笑んでいる。
そうか、嫌じゃないんだ。
「アイリス、あんたはどうしたい? まだサマリマールで石跳び遊びをしていたいかい?」
そういってイシヤコはニヤリと笑う。
こうやっていつも子ども扱いするのだ。
アイリスの身体は子供の頃のイシヤコを模して造られたらしいから、妹のように思ってくれているのかもしれないけれど、やっぱり少しムカムカする。
「いいよもう、石跳び遊びなんて。あたし、本当はもっと跳べるもん」
そうだ。
アイリスの脚なら、もっと高くまで跳べる。
そして遠くまで見渡すことが出来る。
この瞳はおばあちゃんがくれたものだ。
自分で見て、判断ができるようにと。
「あんたの眼は特別製だ。近くのものも、遠くにあるものも見える。だから、できるだけたくさんの世界を見てほしいんだ。それが私たちの願いだから」
いつかのおばあちゃんの言葉が、アイリスの頭の中で繰り返される。
クロムが操る人形たちの暗く虚ろな瞳をアイリスは思いだす。
見て、考える。
おばあちゃんが、アイリスにその二つを求めた理由が、今ではなんとなく分かる気がする。
「あたしも行きたい。この目で、世界を見てみたいよ」
アイリスは見つめる。
馬車の向かう先、街道が続く先、さらにその向こうまで。
橙色に滲む太陽が西の空へと沈んでいく。
曇りのない二つの瞳に、その輝きが映りこんでいる。

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