No.1

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No.1

憂いがちな、それでいて懐かしいさまざまな思い出を呼び起こすようなある場所を、心を込めて、じっと見つめているようなイメージを与えようとしたものなのだ。 美しい春の夜の、月光を浴びながら瞑想する、そのようなものでもある。 ──1830年5月15日付のワルシャワからポトゥルジン在住の親友ティトゥス・ヴォイチェホフスキに宛てた書簡より ショパン協奏曲第一番 柔らかなこの音はきっと彼の音。 あれから四年。ポーランドで過ごした最後の夜、ファイナルで弾くことはできなかった一番を私にと演奏してくれた。鍵盤から零れた余韻が、いまだ体の奥に沈殿している。あの頃はただ彼のピアノに耳を浸すだけで、私のすべては満たされていた。 「──麻生さん?」 「あ、失礼しました。二十四日の燭光礼拝のピアノですね」 「そうなの。ご都合いかがかしら」 同世代の人の予定は、きっと誰かと過ごす灯りで埋まっているのだろう。幼いころ通った教会の記憶は、埃をかぶったステンドグラスみたいに遠い。祈りの意味も知らないまま目を閉じていたあの場所は、今では車で通り過ぎるだけになってしまった。 「こちらのピアノ教室に通っている林さんからあなたのお名前を伺って、何かのご縁かしらと思ってね」 イブの予定は、もしかしてと空けてあった。秋の深まりと共に通知の音へ期待してはしぼみを繰り返した。心はもう音そのものよりも、残響だけでかろうじて形を保っている。 「大丈夫です。ぜひ、よろしくお願いします」 通知が鳴った。条件反射のようにスマホに手が伸びる。 “かな、ごめん。クリスマスに仕事入った。日本に帰れなさそう” 「が」と打てば「頑張って」が勝手に並ぶ。私より先に、スマホが気配を察している。 “大丈夫だよ。頑張って” 時差は距離の代わりみたいで、私たちは文字だけで繋がっている。 彼の忙しさに差し障らないよう、言葉は短く削る癖がついた。 通話だったらきっと言えていた。「今、あなたのピアノが職場のロビーで流れてるよ」と。 そうやって喉の奥に残る言葉が増えていく。

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