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五時を知らせる放送が鳴った。いつの間にか、あたりは薄暗くなっていて、今まで公園にいた他の子達もいつの間にかいなくなっていた。
空が金色に染まって、ブランコや木やジャングルジムが影絵のように真っ黒に見える。
秋は、あまり長く遊べないから嫌いだ。
「そろそろ帰ろうよ」
僕は一緒に遊んでいた優也にいった。
優也もうなずいて、二人で公園の出入口に向かう。
風に落ち葉がかさかさ音をたてて、なんだかちょっぴりさみしい気分になった。
「わりい、ちょっと待って」
珍しく優也が途中で足を止めた。隅にある公衆トイレをあごで指す。
暗くなったら勝手に電気がつくのか、分厚いかまぼこ型の建物からはオレンジ色の光が漏れている。
「家まで我慢できない! 寄っていくから、少し待ってて。わりいな」
確かに、この時間に一人で公衆トイレに入るのはちょっと怖い。
僕は、なんとなく中に目をやった。
戸の開いた個室のドア。おしっこする便器、手を洗う台がそれぞれ二個ずつ並んでいる。トイレの花子さんも、ナイフを持った殺人鬼もいないようで僕は安心した。
自分は使わないのに入るのも変な気がして、僕はトイレの建物を背に、外で優也を待つことにした。
しばらくして流す音と手洗いの音がして、「待たせてごめん」という声がする。
出てきたのは、優也ではない知らない男の子だった。
(え?)
さっき、トイレの中を見たとき、誰もいなかったはずのに。
僕はずっと入口にいたから、優也の後に誰か入ったのなら絶対に気がつくはずなのに。この子はいつトイレに入ったんだろう?
優也は、まだ中にいるのかな?
そっとトイレをのぞいたけれど、個室の戸はすべて開いていて、優也はどこにもいない。
まるで、見知らぬ男の子に変身してしまったように。
「ほら、もう帰ろうぜ」
その男の子は、まるで自分が優也みたいに言った。
でも、この子はどう見ても優也なんかじゃない。優也は僕より背が低いけど、この子は高い。優也は色白だけれど、この子は色黒だ。優也は体つきが丸っぽいが、この子はシュッとしている。ただ、服だけは紺色の長そでにジーパンで優也が着ていたものと一緒だった。
「なに? どうした?」
何か変なことでもあるのか、とでも言うように、きょとんとしているその子の顔を見ていると、なんだか急に怖くなって、僕はそのまま走り出した。
「お、おい!」
後ろで男の子が何か言っているのが聞こえたが、僕は振り返りもしなかった。
家に帰って、ジュースを飲むと、少し落ち着いてきた。
きっと、最初に僕が見たとき、たまたまあの子はどこか見えない所に立っていたんだ。
そして優也は、僕を脅かそうとしてトイレのどこかに隠れていたんだろう。
明日、優也に聞いてみればいい。
けれど次の日、教室に入ったとき、僕はびっくりした。
優也の席の近くに、あのトイレから出てきた少年が立っているのだ。
その子は、みんなから「おはよう、優也君」なんて声をかけられている。その子も笑顔で「おはよう」を返している。
なんで、知らない男の子が入って来ているのだろう? 先生は止めなかったのかな? 転校生? でも、それにしてはみんなはいつも通りの感じだ。それに、あの子の名前も『優也』なの?
僕は、思い切って隣の花穂(かほ)ちゃんに聞いてみた。
「ね、ねえ、あの男の子、誰?」
「え? 誰って、優也君じゃん。なんでそんなこと聞くの?」
まるで僕の方がどうかしたんじゃないかと心配している言い方だった。
胸がドキドキしてきた。息が苦しい。なんだか、床がぐらぐらしている気がする。
そうか。これはドッキリなんだ。クラスの皆が、知らない子と一緒になって僕をびっくりさせようとしているんだ。
でもきっと、先生が何か言ってくれるはずだ。 誰だ? とか出て行け、とか。
先生まで一緒になってふざけるなんてないだろう。
そう思ったら、ちょうどガラガラと戸が開き、先生が入ってきた。
「ほら、皆静かに~」
僕は、期待して先生を見つめた。
「ほら、優也も席につけー」
先生は、いつものようにめんどくさそうに言った。
それから、僕の顔を見て少し眉を動かした。
「ん? どうした陽太(ようた)。顔色が悪いな」
僕はすぐに答えることができなかった。
「保健室にいくか?」
「え、えっと……」
なんだか、声がガサガサしていた。
「き、気持ち悪いので、帰ってもいいですか?」
実際、僕はなんだか気持ち悪かった。
本物の優也は、どこへ行ってしまったのだろう? みんな、どうしちゃったんだ?
それとも、僕の記憶が間違っていたの? あの『優也』が本物で、僕はずっと勘違いしていたの?
いろんな考えがぐるぐるまわる。
「ああ、そうか。じゃあ、親に迎えに来てもらうか」
僕は一つうなずいた。
「大丈夫?」
教室を出るとき、『優也』が心配してくれたけれど、逆に吐き気が酷くなっただけだった。
家に帰って自分の部屋のベッドに横たわっても、頭の中をくるぐるは止まらなかった。
僕はそっと自分の左手を見る。
僕の人差し指の付け根は、ホクロのような黒い点がある。
前に、図工の時間に彫刻刀で切ってしまったんだ。傷にゴミが入り込んだらしく、跡が残ってしまった。
あの時、思った以上の血が出てしまい、びっくりした。優也はハンカチで傷を押さえて保健室に連れて行ってくれた。
あの優也にはもう会えないのかな? なんだか、涙がにじんできた。
「陽太、お昼ご飯だけど、食べられる?」
いつの間にか時間が経っていたみたいだ。あんな事があったのに、いつも通りにお腹が減っていた。僕は目をゴシゴシこすると、台所にむかった。
テーブルには、昨日の夕飯の残りの煮物と、ご飯が乗っていた。僕は、黙って自分の席につく。
コンロの前に立っていたお母さんが、鍋から自分の分の煮物をよそった器を持って座る。
僕は、もそもそと煮物を箸(はし)でつついた。
「どうしたの? まだ具合悪い?」
お母さんが心配そうに声をかけてくれるけれど、本当の事を言っても信じてくれないだろう。僕はただ、「ううん」と首を振った。
「そう、それならよかったけど……あら?」
驚いたような母さんの声に、僕は顔を上げた。
お母さんは僕の手もとをじっと見つめている。
「あら、いつの間に左利きを修正したの? 別にあのままでもよかったのに」
そんなはずはない。だって、僕は生まれつき右利きだったはずだ。だから、彫刻刀だって右手に持ったから、左手に傷がついたのに。
じゃあ、お母さんは今まで誰と暮らしていたの? 僕の今までの記憶って、全部嘘だったの?
ふらりと体がかたむいたのが、自分でもわかった。頭の中が、ふうっと暗くなっていく。
目が覚めたとき、世界が記憶通りに戻っていたらいいな、と思いながら僕は気を失った。

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