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【スタート展示】
ドスンッ
慣れない高いヒールで体勢を崩し、叶はそのまま尻もちをついた。
手元に意識を取られていたせいだ。誰かとぶつかった拍子に、握っていた大量の札束が床へと派手に散らばる。
「あっ……お金」
慌ててしゃがみ込み、札をかき集める。
「はい」
「あ、ありがとうございます」
ぶつかった相手も拾ってくれていたらしい。差し出された札束を受け取り、厚みを確かめてようやく息をつく。
その時になって、謝っていないことに気づいた。
「あっ、すみません。ぶつかってしまって」
「いいえ」
顔を上げた瞬間、空気が変わった。
相手の風貌に、緊張が走る。
上質なスーツに、艶のあるレザーシューズ。鋭い目つきに、無造作に整えられた髪。高級そうなネクタイピンと腕時計が、嫌でも目に入る。
そしてそれだけではない。
男の背後には、五、六人の男たちが控えていた。
顔の目立つ位置に大きな傷がある人や、薄いグラサンをかけた強靭そうな体格の人、つるりとした頭と凛々しいヒゲを蓄えた人……。
どれも一目で“堅気ではない”と分かる風貌だ。
(こ、こわっ……!!)
数が揃うことで、威圧感はさらに増す。場の空気ごと押し潰されるような圧だった。
「ほんと、すみませんでした。
それでは私、先を急ぐので」
勢いよく頭を下げて早々に立ち去る。
その瞬間、叶の腕が、強い力で掴まれた。
「もしかして今の、12R当てた?」
ネクタイピンの男だった。
細身の体つきに似合わず、その握力は強い。
振りほどける気配がない。
「いえ! いや、あ……いや、あ、当てました」
逃げたい気持ちと、逆らえない恐怖が拮抗する。
「すごいじゃん」
「いえたまたまで」
「3連単だよね」
「は、はいそうです」
ここは競艇場である。
最終12Rの締切直前、叶は高オッズに賭けた。そしてそれを的中させ、大きな払い戻しを手にしたばかりだった。
「今度、俺の投資で当ててくんない?」
「ひえっ?」
「万舟取ってみたくてさー」
軽い調子の言葉とは裏腹に、腕を掴む力は緩まない。
「いや、本当に今日は運が良かっただけで……」
「いいって。外れても怒んないし。携帯教えて」
「えっ?」
即座に拒否したいのに、声が出ない。
叶の脳内では早速、拒否反応を起こしていた。
「多分お力になれないと思いますし」
「いーのいーの。別に当たらなくても怒んないし」
(こんな怖い人と連絡先の交換?
絶対無理! ていうか嫌なんだけど!)
男はすでに自分の携帯を取り出している。
逃がす気はないらしい。
「ぶはは! ボスがいきなりナンパし始めた」
「あーあー何やってんすか」
彼の後ろに居るコワモテおじさんたちが、ドスの効いた笑い声をあげた。
(ボスって? ボスって何……!?)
その不安を見透かしたように、男が顔を寄せた。
「後ろの連中、怖いだろ。でも安心していいよ」
叶にだけ聞こえる小さい声で、告げる。
「怖い顔のおじさんたちは俺が気に入ってるモンに手出ししないよ。俺の言うこと聞いとけば、安全」
(つまり、ここで断ったら……
身の安全の保証はないってこと?)
未体験の恐怖は想像力を掻き立て、その男の申し入れを拒ませなかった。
男は満足気に笑った。
「かなうちゃん、ね」
「……はい」
「今日の万舟はおめでとう。じゃあね」
番号を交換し終わると、コワモテ集団はさっさと帰って行った。
その男から為された携帯へのワンコール。
それは叶の人生を変える、転換日のシグナルと言えた。
それが、全ての始まりだった。

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