運命のはじまり
ただの気まぐれで、人間の赤子を拾ったのが、そもそもの間違いだったのだ。
森の奥で、微かな泣き声が聞こえた。
雪が降りしきる夜。魔物も出るこの場所で、その声はあまりにも小さく、頼りなかった。
音のした方へ向かうと、大木の根元。
その穴の中に、薄い布に包まれた赤子が捨てられていた。
このまま放っておけば、凍え死ぬか、魔物に喰われるか。
どちらにせよ、助からない。
子供は好きじゃない。
ましてや赤子なんて、厄介で面倒な存在だ。
そう思った。確かに思ったはずなのに。
なぜか、その場を立ち去ることができなかった。
気づけば、弱々しく泣くその子に手を伸ばし、抱き上げていた。
驚くほど軽い身体。けれど、温かい小さな命。
抱き上げた瞬間、赤子はぴたりと泣き止み、驚いたように目を瞬かせて、私を見上げた。
漆黒の髪。
その黒曜石のような瞳が不思議そうにこちらを見つめたあと――
ふわりと無邪気に笑った。
あまりにも無垢で、脆くて、
それなのに、なぜか眩しいと思ってしまった。
その笑顔に、私はもう、この時絆されていたのかもしれない。
「……人間は、すぐ死ぬ」
そう呟きながらも、その子を大木の根元に再び戻すことが出来なかった。
私――リアナは人間から"不死の魔女"と呼ばれている。
けど、正確には不死ではない。
ただ、人間より遥かに永い寿命を持っているだけだ。
そんな私にとって、人間の赤子を拾うことは何の価値もない。
育てても、必ず先に逝く。
人間の一生など、私の時間の中では一瞬に等しい。
それがわかっていて――それでも。
私はその子を、連れ帰った。
名前をつけたのも、ただの気まぐれだった。
夜明け前。
弱々しく上下する小さな胸を見下ろしながら、私は呟く。
「アル」
それが、私が彼に授けた名前。
アルは、あまり手のかからない赤子だった。
好き嫌いはなく、病気もほとんどしない。
ただ、雷だけは苦手なのか、雷鳴が轟くと、手がつけられないほど泣いた。
そして必ず、私の方へ小さな手を伸ばしてくる。
「大丈夫よ」
そう言って抱き上げ、その背中を撫でるたび、胸の奥に説明のつかない痛みと温かさが広がった。
物心がつく頃には、私はアルに魔法を教えていた。
彼は私を「師匠」と呼び、いつしか家族とも弟子ともつかない関係になっていった。
言葉を覚え、文字を覚え、背が伸びていくにつれ、
私は心のどこかで、「別れ」を数え始めていた。
それでも、傍に置くことを止められなかった。
気づけばアルは――見上げる程、私の背丈を越し、街を歩けば人々が振り返るほどの、美しい青年に成長していた。
物覚えがよく、魔法の腕も確かで、素直で優しい。
そして――
魔法使いとしても、人としても一人前と呼べるようになった日。
私は彼に告げた。
「アル。あなたはもう十分に成長したわ。
これから先は、自由に生きなさい。旅をしてもいいし、魔法を活かせる職に就いてもいい。
愛する人を見つけて、結婚してもいい。
あなたの人生を、あなたのために歩みなさい」
それが、私なりの"思いやり"だった。
人間の寿命は短い。
だからこそ、一瞬一瞬を自分のために使わせたかった。
けれど、アルは悲しげに眉を下げた。
「師匠は……もう、僕がいらなくなったのですか?」
「え……?」
「僕は……ずっと、師匠のお側にいたい。」
そう言って、アルは、真剣な瞳で私に告げた。
「師匠――いえ……リアナ。僕はあなたを、女性として愛しています」
「……え」
息が、詰まった。
私は彼をそんな目で見たことがなかったから、頷けるはずなかった。
なのに。
それから、彼は何度も想いを告げてきた。
どんなに拒んでも、突き放しても、諦めなかった。
――そして、ついに。
その想いの熱に、私は、折れた。
結婚した日。
夫となったアルは、私の左手の薬指に、銀の指輪をはめた。
「僕が好きな物、知ってますか?」
「……知らないわ」
「銀です。リアナの髪が銀色だから。
だから、指輪も銀にしました」
その言葉が、胸に静かに沈んでいった。
この指輪が、
この愛が、
いつか終わると知っていたから。
それでも。
私は、彼から注がれる愛を拒めなかった。
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