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本棚に追加翌朝のことだった。扉を開けたリーズは息を呑んで立ち尽くした。
朝の光を拒むようにカーテンを閉め切った暗い部屋でアベルが椅子に
うずくまっていた。リーズが持ってきたスープの暖かい湯気が
凍り付いた部屋の中で場違いに浮いている。
「どうされましたか?アベル」
リーズは慌ててお盆をテーブルに置くと、アベルの傍に足を走らせた。
アベルはゆっくりと顔を上げ、視線を向けたが、
その瞳は暗く、正面にいるはずのリーズの姿さえ写っていない。
ひたすら深い闇に覆われた瞳にリーズは背筋が寒くなった。
「‥いったい何かあったんですか?」
「…どうして…だ」
「え?」
「どうして見合いのこと、教えてくれなかったんだよ!」
アベルの悲痛な声が部屋中に響き、その場の空気が止まった気がした。
「何故そのことを…」
「父上が昨日俺に話したんだよ!リーズは皇太子と見合いするって!
リーズも承知してるって!見合いの前に決まってたことなんだろ!?」
そうアベルが怒鳴った後、彼の瞳から雫がはらりと零れる。
「アベル…」
リーズは思わずアベルの頬に手を伸ばしたが、思いきり振り払われた。
「何で俺に教えてくれなかったんだよ!この嘘つき!」
その言葉にリーズは弾丸を打たれたような感覚に陥る。あまりの衝撃に
足が震えた。
「…嘘ついていたわけではありません、もし聞かれたら正直に答えるつもりでした。ただ言う必要がなかったから言わなかったけで‥」
リーズは平静を装って答えたが、アベルは顔を歪めた後、フッと自嘲気味に笑った。
「言う必要がなかった?…そうか、お前も結局父上と同じなんだ」
彼は左手で半分顔を覆い、もう片方の赤黒い痣の顔だけが
露わとなる。
痣の中にある暗い瞳がリーズを容赦なく刺した。
「薔薇園に俺を連れていったのは、
王子と仲良く散策するための練習なんだろ?」
「練習…父上がそうおっしゃったんですか?
違います、私は本当にアベルを…」
リーズはゆっくり説明しようとしたが、アベルは遮る。
「俺は、お前がいつか良い男に嫁ぐまでのただの暇つぶしでしかなかったわけだ。かわいそうな弟を世話してさぞ愉悦に浸っていただろうな!」
その言葉にリーズの思考が一瞬真っ白に染まった。頬を叩かれたわけでも
ないのに耳の奥がじんと熱い。
(愉悦‥そんな風に見えていたの?)
「そんなことありませんよ。私は…」
反論しようとしたが、頭と胸に重しを乗せられたかのように感じ
言葉が出てこない。
「どうした?反論できないのか?」
アベルはせせら笑い、その顔を見て溜まっていたものが爆発する。
「バカ言ってんじゃないわよ!」
リーズの叫び声が部屋中に響いた。
「愉悦でずっとあなたの世話ができると思いますか!?
私はずっとあなたに会いたくて、でも会えなくて、だからあなたに会えたときすごく嬉しかったのに!お話できたことも、一緒に歩けたことも
奇跡って思えるぐらい嬉しくて!この世界に来れて本当に良かったと思ったのに!」
沸騰しているかと思う程、リーズは顔を紅潮させ、吐く言葉からも湯気が出てきそうだった。
「り、リーズ…」
アベルは魂が抜けたかのように呆然とした顔になり、
その顔を見てリーズの沸騰した感情が落ち着いてくるのを感じた。
「だから、そんなこと言わないでください。でももしあなたにそう思わせてしまったのならそれは私の落ち度です。だからこれから何度でもあなたに伝えます。アベルが一番大事だって」
先程とは一変して淡々と、しかし強さが込められた声。
もう重しは吹き飛んでいた。
「じゃあ薔薇園で俺と散策したのは」
「もちろんあなたと散策することは私が一番先に決めたことです。
しかしその前日に父上に王子様とお見合いするように命じられたのです。
…私の本意ではありません」
「見合いには行きたくないのか?俺が一番大事なのか?」
「ええ」
「でも見合いには行くんだろ?その時間俺の傍にはいない」
アベルの挑むような声にリーズは眉間にシワを寄せ、頷いた。
「ええ、お父上に命じられたことですし、王族との約束を断るわけには行きません」
「ならやっぱり‥」
「でも婚姻は断りますから。
私はあなたの傍にいます」
リーズは真っすぐ、ゆるぎない視線を向けた。
「‥本当か?」
アベルは恐る恐ると言った様子で問い詰めた。
「ええ、あなたが誰かと幸せになるまで私は誰にも嫁ぎません」
「...嘘じゃないか?」
「ええ」
リーズが頷くと、アベルはリーズに近寄り、頬に触れた。
「泣いてる‥」
「ええ、あなたに酷いこと言われてすごく傷つきましたから」
「…ごめん」
アベルは頭を垂れた。そんなアベルの頬をリーズは優しく包み
顔をゆっくり上げさせる。
「アベルも泣いてますよ?そんなに私のお見合いがショックでしたか?」
「…うるさいな」
彼女の手のひらから伝わる熱が、冷え切った頬を通じてゆっくりと全身に溶け出していく。じりじりと痺れるような痛みと共にようやく
自分の体に戻って来た気がした。
アベルは涙を流しながらリーズの温かい手に自分の手を重ねる。
小さいと思っていたアベルの手はリーズのものより少し大きかったが、
痛々しく骨ばっていた。重ねられた指先から伝わる彼の鼓動がリーズの手の
平にもじくじくと響く。
「お前は本当に分からない存在だな、どうしてそんなに優しい」
「私は優しくはないです。元々は人付き合いが苦手で、友達もいなかったぐらいですよ?」
「嘘だろ?こんなに慣れ慣れしい奴が」
「アベルが私を変えたんですよ」
「何言ってんだ…相変わらず意味不明な奴だな」
アベルはうつむいたが、その耳は赤く染まっていた。

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