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第一章 断罪
私はフォルゲン帝国の三大家門の一つ、ウェスタリス公爵家の娘として生まれた。
私は生まれた頃から、皇太子妃になることがほぼ約束されており、初めて皇太子と対面したのは六歳の頃。
まだ私の母が生きていたときである。
物腰柔らかで銀色の髪に紫の瞳をした皇太子とお見合いをしてから、定期的に会う事になるうちにどんどん仲良くなり、少しずつ愛を育んでいた。
皇太子は優しくて、穏やかで、いつも熱を含んだその瞳が私を好きだと物語っている気がした。
10歳の頃に流行病で大好きな母を亡くして、打ちひしがれる私に寄り添い、外に連れ出してくれたのも彼で、おかげで私は一年後には笑えるようになっていた。
父が再婚した女性や連れ子と上手くいかないときも、気にかけてくれ、熱が出た時もかかさず見舞いに来てくれた。
こうして、私達はいつの間にか、少しずつ思い出を重ねて、互いを支えあい、好きを育てていった。
そんな婚約者の名前はアレク・フォルゲン。フォルゲン帝国の皇太子である。
一緒に舞台に行ったり、保養地で水遊びをしたり、会えない時は手紙を送りあったり、勉強したりと、沢山の思い出を積み重ねた。
小さい頃、初めて二人でこっそり街に出た時に手を繋いだ手を、これからずっと握り締めてゆくのだと思いながら握り返した。
皇太子妃なんて、私に務まるのか、いやーー勤めてみせる。我が家の役割は、後ろ盾が無い彼の盾となることだ。
弱気になってはいけない。
私が彼を守らなくちゃいけない…そう思っていた。
けれどもそんな自負は、突然砕け散った。
ある日ーー伝説の聖女をなぞらえるごとく、雲の隙間から太陽の光が差し込み、一人の女性がアレクのもとに現れた。
異世界からの来訪者。
黒髪黒目の特徴を持つ彼女が、天からゆっくり舞い降りてくるのを、アレクが受け止めた。
私達の終わりが始まったのは、この出会いからだった。
彼女の名前は天崎陽美。
異世界から来た聖女である。
皇太子の婚約者である私の家には預けられないので、もう一人の宰相である、フランメル侯爵家が後見人として彼女を引き取った。
彼女の予言により、災害での被害や食糧難を逃れた我が国は、間違いなく彼女を聖女であると認定した。
我が国ーーというより、この世界にとって、聖女は特別な存在である。
フォルゲン帝国は通常であれば、長子相続であるが、聖女が降臨した場合は違うらしい。
聖女の伴侶は皇族でなければならないとされ、これが持つ意味は、聖女を伴侶としたものが、この国の皇帝となるということを暗に示している。
つまり、まだ婚約者の定まっていない第二皇子が聖女を娶れば、周知の事実として彼が次期皇帝と暗黙の了解とされるだろう。
社交界や学園では、そうささやかれはじめた。
その頃から、アレクの態度に変化が現れ始めた。
学園の庭園でも聖女陽美とアレクがよく談笑している姿を見かけ、生徒会にも招き入れ、接触機会を増やしていた。
以前は私と二人で昼食を食べることもあったが、陽美が現れてからは、生徒会のメンバーで食べるようになり、私とのお茶会の機会もめっきり減った。
ある日の放課後、生徒会室に忘れ物を取りに行った私は、見てはいけないものを見てしまった。
陽美様がアレクの肩に手を回し、背伸びをして彼の唇に触れている光景を。
アレクは一瞬、戸惑うように肩を揺らしたけれど……結局、彼女を突き放すことはしなかった。
隠れるようにしてその場を去った私の胸には、言葉にできない冷たい塊が居座った。
(やはり、アレクは聖女様と婚約を結びたいのよね。そのために、私との思い出を上書きしようとしているのね……)
その頃から、薄々感じてはいたけれど、数少なくなったお茶会での彼の私を見つめる目は、どうしてか未だに熱をはらんでいたものだから、婚約の解消の相談を切り出せずにいたある日ーー
とうとう、〝この日〟がやってきた。
「ウェスタリス公爵令嬢 アリス・ウェスタリス。
聖女を害した罪によりーーここに婚約破棄を宣言する」
最初は、身に覚えのないことを衆人の前で、唐突に、声高く投げつけられた私は、咄嗟に否定の言葉を述べた。
「誤解です、私は何もしていないわ。
私がそんなこと出来ないことは、貴方なら、アレクならわかるでしょ?」
何故ーーつい先日のお茶会で「この先何があっても信じてくれ、私には君だけだ」そう言って、机の上で手を重ねていたのに。
一瞬の混乱で発した私の言葉を受けて、アレクの瞳が〝苦しい〟と揺れたのがわかった。
ーーそうか、これは、皇帝陛下や私の父が決めたことを実行しているにすぎないのだと、気がついた。
聖女が来たから、婚約白紙をする非情な皇太子だと思わせる訳にはいかない。それでは、民心は得られない。
では、どうすれば良いのかーー答えは簡単だ。
〝間違い〟で〝悪い〟存在を、私であることにすれば良いのだ。
聖女に無礼を働いた悪女だから、婚約破棄をしたと、皆の前で知らしめて正当性を示すために、この場が設けられているのだと、すぐに気が付いた。
彼の表情は、苦痛に耐えるように、ぎゅっと目を閉じたあと、すぐに開いて私を見据える。
私への気持ちは、あるけれど、皇太子として彼はこうしなければならなかった。
それなら、私がどう足掻いて、言葉を募ろうと、もう誰も私の味方はいない。足掻くほどみっともなくなり、嘲笑われるだけだ。
昨日まで、最も美しく社交界の花と敬われた公爵令嬢が、今日から聖女を害する悪女とされる転落劇は、社交界では格好の餌であり、生涯消えない傷となるだろう。
それでも、公爵令嬢一人の将来を潰すことで、皇族の威厳と名誉は保たれ、皇太子は皇太子のままでいられ、皆が円満に終われる。
私一人が、貴族に生まれた者の義務として、公爵令嬢として、皇族の名誉を守るために、泥を被ればーー。
婚約者としていたとき、皇太子の盾になると、守ると決めていた。それと本質は同じだ。
だから、せめてみっともなくならない様に、笑え。心がどんなに動揺していようが、それをおくびにもだしてはならない。
笑え、笑え、皇太子を守る最後の務めとして、笑えーー
心を落ち着かせるため、一度目を閉じて息を整える。スッと目を開けた私は、貴族の仮面をつけて、綺麗な笑みをつくれていただろう。
「……ア」
アレクからこれ以上、私を糾弾する言葉を紡がせる前に、覚悟を決めた私は口を開いた。
「ーーかしこまりました、婚約破棄、お受け致しますわ」
「……っ」
皇太子に苦悶の表情が宿る。
いけません、殿下。
その表情ではバレてしまいます。
これからは一緒にはいられないのですからーー
そう思っていた時、誰かの背が、私とアレクとの間に割り込んだ。
彼はアレクの顔に手袋を投げつけると、アレクの側に控えた従者が「何をする!」と声を荒げた。
「手袋を投げる意味くらいわかるだろ?
決闘の申込みですよーー皇太子殿下」
耳に心地良く響く声。
誰かもわからない。
けれど、私を守る様に立つ背を見て、それまで衆人の前で恥辱を感じながらも素知らぬふりをして立つことしか出来なかった私の瞳がーー無意識のうちにほっとして、潤む。

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