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雪がとけて月になる。
月の光が花になる。
花が散ると雪になる。
無から生まれるものがないように、有ったものは消えない。
■
私の母の名前は雪といった。
ある日、台所に行くと母がとけて透明な液体になっていた。
私は母を弔おうと、庭の隅の土に母を注いだ。
よく晴れた冬の朝のことで、流れ落ちていく透明な母は、うごめくつららのような、しぶきをあげることのないか細い滝のような、いっときも同じ形を持たず、永遠に続くようだけれど必ず移ろい消えていく、私の生きる場所を取り巻くことわりとして朝日に輝いていた。
その日の夜、庭を見ると、母を注いだ土から姉が生えていた。
姉の名前は月という。
姉の両足のつま先が土を離れて、夜空へ浮かんでいった。
姉の体が、満月のような銀光を放っていた。
その光がこぼれ落ちるほどに姉の体は減っていき、最後にはなくなってしまった。
庭の土の上を、銀色の光のかけらが花筏のように覆っていた。
私の名前は花という。
姉が残した銀色の光の粒が庭からすべて消えると、家には私だけが残った。
彼岸過ぎの花嵐によって私の体は散華してしまったけれど、その花弁は家の中のすみずみまで往き渡る。
それからしばらく、私の家は人の気配もなく静かだった。
ある日、母の雪がひょいと居間へ顔を出し、私と姉がそのあとに続いた。
はかない永遠は、誰も訪ねてくることのないこの家で絶え間なく続いている。
こんなものが美しいと思うのだろうか、博士たちは。
いや、分かっている。
私たちは作り物で、にせもので、地上から冬も空も植物も消えた世界で博士たちが取り戻そうとしたものは、本当は私たちとは似ても似つかないのだと。
「この小型生物生育空間は失敗だった」
そう言ったのを最後に、博士たちは来なくなった。
私たちは瓶の中にしつらえられた家と庭、空と呼ぶにはあまりに限られた空しか知らずに死んでいく。
そしてまた瓶の中で生まれてくる私たちは、まるでおもちゃの命にすぎない。
光も水も風もあるけれど、変化と生命のない閉じた世界の歯車。
瓶のラベルには「雪・月・花」と書かれているのが中からも見える。
瓶の傍らにある窓から覗く研究所の外の世界は、見渡す限り荒れ果てていた。この瓶の中よりもさらになにもない。
無から生まれるものがないように、有ったものは消えない。
だから私たちは、研究所から誰もいなくなっても、この世から消えた雪と月と花の代わりにここにあり続けている。
終

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