Stay Gold

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 最近の並木(なみき)銀司(ぎんじ)は、自然と鼻歌が飛び出してくるほど、機嫌がよかった。  何せ、妻との銀婚式が近い。ちょっといいレストランを予約して、ふたりきりで祝うつもりである。   スーツに着替えながら、あと一ヶ月か、とカレンダーを見ながらニヤニヤしていると、「なぁに、あなた。気持ち悪いわよ」と、当の妻・みどりが少し嫌そうな顔をしてこちらを見ていた。彼女の抱える洗濯カゴの中身は昔より少なく、別に毎日やらなくてもいいのでは、と銀司は思うのだが、習慣となっており、毎日回さないと気が済まないらしい。 「気持ち悪いってことはないだろう」 「いいえ、気持ち悪いわよ。ねぇ、(あかね)?」  大学生の娘は、両親のやり取りを見ていなかった。朝食を食べながら、昨日の深夜ドラマの録画を流していて、そちらに夢中だった。朝からエログロサスペンスは勘弁してほしい。 「そうだよ、お父さんが悪いよ」 「お前たちはいつも、母さんの味方だな」  茜の上には(あおい)という息子もいるが、これはとっくに社会人になり、独り暮らしをしている。彼らの前で喧嘩とまでは言わないが意見を戦わせていると、父の言い分など聞きやせず、無条件で母の援護に回るのが常であった。  肩を落として出勤した銀司を待ち構えていたのは、同期入社の加山(かやま)であった。部署も違うのにどうした、と朝の挨拶もそこそこに、「並木! 今日、飲みにいかないか。いや、行ってくれ。頼む!」と、必死になって縋ってくる。  先に妻に相談し、了承を取るべきだが、あまりの必死の形相による頼み込みに、銀司はつい、頷いていた。久しぶりに真正面から見た加山の顔色が悪く、記憶の中よりも痩せこけていることに気づいたというのもある。  少し軽くなった足取りで去っていく加山を見送り、乱れたネクタイを直しながら、銀司は妻にメッセージを送った。 『今晩、加山と飲みに行くことになった』 『朝から何の相談してるのよ。笑。わかった』  返信は秒できた。スマホをしまって仕事の準備をしていると、加山とのやり取りを見ていた部下の女性社員が音もなく近づいてきて、「部長~。捕まっちゃいましたね」と、不吉なことを言って笑った。 「捕まる? 誰に?」 「加山さんですよ。営業部では持て余されているんですって」 「あいつがぁ?」  転職が営業であると自他ともに認める男が、部内で浮いているとはこれいかに。  それ以上は教えてくれなかった彼女のせいで、一日中そわそわした気持ちで仕事をこなした銀司は、定時過ぎに加山と連れ立って会社を出た。  入ったのは、個室がある居酒屋である。少し稼げるようになってから、ゆっくり話がしたいときはいつもここであった。大将たちとも顔見知りで、 「個室今ならいけるよ」と、案内される。 「それで、なんで急に俺と飲みにいこうと思ったんだ?」  おしぼりで手を拭き、ビールを注文したところで銀司は自ら切り出した。加山は酒に弱い。酔いが回り切る前に、大事な話はしておかなければならない。そもそもお前、ふたりで飲みに来ることなんて、片手の指で足りるほどだったではないか。  加山は深々と溜息をついたかと思うと、恥も外聞もなく泣き出した。ちょうどビールとお通しを持ってきたバイトの子が、初老の男がぼろ泣きしているのを目撃してしまい、「……でーすっ」と、声をひっくり返している。  目だけで彼女に謝り、銀司は根気よく、加山の話を聞いてやった。 「離婚?」 「そぉ、なんだよ!」  加山はテーブルを拳で強く叩いた。ビールを一気に呷ると、彼の顔が真っ赤になる。もう酔っている。まともな話は聞けやしないだろう。黙って相手をするのみだ。注文した枝豆をぷちぷちと食べながら、銀司は諦めの境地に達した。  加山の家も、自分のところと同じくらいの結婚年数だったはずだ。銀婚式。二十五周年。それほど長く連れ添った夫と別れる決断をした妻の心境とは、どのようなものだったのだろう。 「俺はぁ、浮気もぉ、暴力もぉ、ギャンブルもしてないのに!」  加山家にも子どもはいる。成人し、独り立ちした息子は全面的に妻の味方であったというから、彼の上げた最低夫の行為はしていなくとも、何らかの原因が加山にあったのは間違いない。  銀司はどうにか宥めて、酒と偽って水やウーロン茶を飲ませた。いい気分になった加山は、半分まどろみながら、 「……お前んとこも気をつけろよぉ。女なんて、何を考えてるかわかんないんだからさ」  と、経験者の忠告をしてきた。  まったく余計なお世話である。

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