あなただけの幽霊

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『はじめまして、泉水(いずみ)です。ワタシのお兄ちゃんは幽霊が見えます。我が家の居間には亡くなったおじぃちゃんが今もいて、入れ歯がなくて困っているそうです。残念ながら、入れ歯は骨壺に納めてしまったのでもうありません。新たに造ろうにもおじいちゃんは歯医者にも行けません。愛用の杖も燃やしてしまったのです。だけどおじぃちゃんは怒りません。幽霊だからです。幽霊は話せないのです』  ワタシはいま、人生で初めての長文記事(ノート)を書いている。  初回の今日は、テンションを上げるべくお気に入りの場所で執筆中。  天気がいいのでごろりと仰向けになった。頭を乗せるのにちょうどいいブロックがある。制服のスカートがめくれたのでちょいちょいと直した。どうせ誰も見ないけど、ワタシだって一応女子高校生である。 『お兄ちゃんの名前は森人(もりひと)、四月二十二日生まれのO型です。ワタシが二月生まれなので、学年では五つ、年齢では六つ離れています。母が、自然に因んだ名前にしたくて森人とつけました。ワタシの泉水も同じ理由です。だけどお兄ちゃんは森人という古臭い響きが好きではないらしく、リヒトと名乗っています。リヒト、なんて格好いいんでしょう。俳優みたい。あんまり素敵なので、ワタシも寝る前にベッドでこっそり「リヒト、おやすみ」と呟いています。へへ、ちょっと恥ずかしい』  自分の書いた文章を読み返すと笑ってしまう。  こんなこと匿名のノートじゃなきゃ絶対に書けない。  なんだか体が熱くなってきたので、さっきコンビニで買ってきたジュースをおでこに乗せて冷やした。 『あるときまで、ワタシはお兄ちゃんは幽霊が見えることを知りませんでした。それはワタシが小学生で、新潟の海に家族でキャンプに行った日の夜です。ワタシは夜中に目が覚めました。昼間、海で遊んでいたときビーチボールを無くしていたのです。オレンジの水玉模様が入ったお気に入りのボールでした。海で遊んでいるうちに見失い、夕方まで探しても見つからなかったのです。どうしても見つけたくて、一人でテントの外に出ました。虫の声がヂリヂリと響く森の中は、霧が巻いてゾッとするほどの寒さでした。他の人たちのテントとそこに集まる虫を嫌った父が二時間もかけて選んだ場所なので、ビーチまではかなり歩きます。ワタシは父と母を恨みました。虫嫌いなくせに仲良し家族をアピールするためキャンプに出掛けてきた父と、文句ばかり言う母。どっちも好きではありませんでした。だから背後で急に物音がしたとき、誰の名前も呼べず、うずくまるしかなかったのです』  あ、このフルーツティー、初めて飲んだけど美味しい。ぷかぷか浮いているゼリーが水玉みたいで可愛い。ただ口内炎には染みるなぁ。 『恐怖のあまり泣き出したワタシの腕を掴んだのは、乱暴だけど暖かい手でした。お兄ちゃんです。恥ずかしながらその瞬間まで、ワタシはお兄ちゃんの存在をすっかり忘れていました。年が離れていたこともあって、ふだんは会話もなく、目も合わせず、まったくと言っていいほど関心がなかったのです。地面から立ち上るように突然現れたお兄ちゃんは無表情で言いました。父ちゃんが探してるから戻るぞ、と。ワタシは首を振りました。どうしても諦められなかったのです。お兄ちゃんは自分の髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜたあと、そっちには幽霊がいるから行かないほうがいい、と言いました。』  スマホを掲げた腕がダルくなってきた。ちょっと休憩。ごろりと体を反転させると軽く咳が出た。今日の空気は少し苦い。 『ビーチボールはおれが幽霊にあげたんだ、お兄ちゃんはそう言いました。信じがたく、また諦めきれなかったワタシはもちろん反抗しました。お兄ちゃんはさらに言いました。今日海で泳いでいるとき、小さな女の子がおれに近づいてきて、ビーチボールで遊びたいと言うから貸してやった。だけど後で気づいたんだ。中学生のおれがやっと足が届く場所に、浮き輪もない女の子が一人で泳いでくるはずがない。あれは本気でヤバい。あの子が本当に欲しいのはビーチボールじゃなくて、ずっと一緒に遊んでくれる友達なんだよ。などと強く説得され、渋々テントに戻ったワタシは、次の日、海で女の子が亡くなっていたことを知り驚きました。お兄ちゃんの言葉は本当だったのです。帰りがけ、破れたビーチボールが砂浜に打ち上げられているのを見ましたが、もう取り戻したいとは思いませんでした。波に遊ばれるビーチボールは、ワタシを遊びに誘っているようでした。お兄ちゃんはワタシの命の恩人です』  ちろりん、とメールが鳴った。スマホの画面を切り替える。彼氏からだ。

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