おしまいの儀式
もう、私はあいつにチョコを渡さない。
決めたんだ。
思い起こせば近所の公園でベビーカーに乗せられて私と祥は出会った。
同じ日に公園デビューをした私のお母さんと祥のお母さんが『ママ友』になれたことで、ずっと一緒に遊んできた。
遠出してふたつの家族でディズニーランドとかにも、行ったりした。
小学校の頃、かくれんぼしていて夜まで隠れ続けていた思い出もある。
ふたりとも鬼じゃないと思い込んでいて月がでてもまだ隠れていた。その日の月が満月で、見上げた空が明るかったことをよく覚えている。
ふたりとも帰らないからお父さんもお母さんも心配して見つけにきてくれたのに、祥にバレちゃうから静かにして!って怒ったり。あ、そのあとでお父さんたちにとても怒られたこともいい思い出。
今思うと笑ってしまうくらいふたりとも抜けてるけど。なんていうか負けず嫌いなんだろうな。
滅多に降らない雪が降りつもれば、嬉しくてふたりで雪をかけあって遊んだ。ふたりだけの雪合戦。ほら、お互い負けず嫌いだから、いくら雪まみれになってもやめなくて。
見かねたお母さんが、雪だるまを作ってほしいなって言ってくれてやっと雪合戦は終了した。
もちろん次は、どっちが大きい雪だるまをつくるか競争に入っていったのだけれど。
保育園も小学校も中学校もいっしょで、でも中学校の頃になるとさすがに思春期で。
男女の友達ってこそばゆくって少し離れたりもした。学校ではおしゃべりもしなくなって。
でもお母さん同士の交流は続いていたし、お互いに家を行き来してた。
「よう」
「あ、うん」
なんてことくらいを喋ればもう十分だったりもしたな。お互いがお互いの家のリビングにいても『あ、いるな』ってくらいで。
それはそうとして毎年バレンタインといえばお母さんに言われてチョコを用意してた。
初めてチョコをあげたのは祥。
保育園の頃から渡し続けてもう何年……あ、三十年かあ。
あ、年がバレた。
高校まで同じ公立に行って、大学はさすがに離れて。私は文系で祥は理系だったから。
お互いに国立大学だったけど祥は県外に進んだ。
祥の帰省はだいたい大学が春休みに入る2月頃。まさにバレンタインあたり。
だからずうっとチョコをあげ続けてきたんだ。
祥は就職で地元に戻ってきて私ももちろん地元の就職。
私はその時どきで彼もいたし。
祥にだって彼女がいたし。
なのに。
なんだかなあ。
ずうっとチョコをあげ続けていたんだよなあ。
『互いの恋人に悪いんじゃないの?』
なんて考えも及ばないくらい自然に私たちはバレンタインとホワイトデイに贈り物をしあってきたんだ。
嘘みたいでしょ?
でもそれももうおしまい。
今年はもうチョコは渡さない。
*
1回だけ……あ、嘘ついちゃった。
2回……ううん、3回くらい。いや、もっとかも。
祥とリビングでテレビを観ながらふざけあってたとき。
テレビでそういう、恋人同士のそういうシーンがでてきたから。
『してみる?』
『うん』
なんて言って。
キス、したりしたなあ。
首をどっちに傾けるのかわからなくって一緒のほうに傾けちゃって。
歯があたったり眼鏡がカチャカチャ触れたり。
唇が離れたら、ふうって思わず息を吐いてしまって、でも祥の顔を真正面からは見られなかったな。チラリと上目遣いで見えた祥の耳が真っ赤で。私の顔もきっと真っ赤だったと思う。
このときの、はじめてのキスのことはよく覚えてる。
思い出すと幼くてもどかしい。
ああ、いい思い出。
うん、黒歴史じゃない。
こんなふうに。
初めてチョコをあげたのも。
初めてキスをしたのも。
それ以上も。
全部、祥だった。
なのになんとなく付き合うことはしなくって。
照れくさかったのかな。
言葉にすることが。
それで結局。
こんなふうに三十年も彷徨ってきて。
でも。
祥には運命の相手がちゃんとできて。
仕事で知り合ったひとつ年上の人って言ってた。
その人は土日に一人旅に出ることが好きらしくって、ふらりとどこかへ行ってしまうからつかまえておきたいんだって。
近くにいてもつかまえきれない人もいるんだから、余計に。つかまえなくてはいけないって思ったとか言ってたな。
一度だけ写真も見せてくれて。
──ひまわりみたいな明るい笑顔の人だった。
その人と結婚するんだって。
おめでとう。
おめでとうおめでとう。
おめでたいね、おばさんもおじさんも喜んでるよ。
だからもう、チョコは渡さない。
初めてキスをしたとか、抱き合ったとか。
私のことぎゅうってしてくれたときとか。
覚えてるよ、ちゃんと覚えてる。
……どうして。
どうしてどうして。
私は好きって言わなかったんだろう。
あのときもあのときも、言えたはずなのに。
どうして。
あと一歩が踏み出せなかったんだろう。
*
毎年の恒例行事。
ついついバレンタインフェアでチョコを眺めてしまう。
「あ、こういうチョコ、祥が好きかも」
何回も何回もチョコをあげすぎて、どれもちゃんと食べてくれてたけど。
たぶん、チョコの中にクリームが入った濃厚なものが好みだと思う。
何回もあげたから。わかってしまう。
そうだ。
和菓子にしたこともあったな。
桜もち。
淡い桃色の道明寺の粒々と桜の葉の塩漬け。滑らかな餡。餡の甘さと桜の塩気が私は大好きで、春には絶対に食べる和菓子。
祥にも食べさせようと思ってチョコの代わりにバレンタインにあげたんだったな。
「おいしい?」
「ん」
反応が軽かったから、その一回だけ、だったと思う。
でもなぜだか祥は、それから毎年桜もちを私に買ってきてくれるようになった。
儀式のように。
私のチョコと祥の桜もちを交換してきた。
あ、ホワイトデイとは別にね。
いろんなお店のいろんな桜もち。
私、嬉しくて楽しみにしてて。
でももうチョコと桜もちの儀式もおしまい。
*
「こんにちはー」
日曜日。
親は出かけていて、私ひとり家で寛いでいたら祥がやってきた。
パタパタと出てみれば玄関で突っ立っている。
いつもならスタスタあがってリビングに入ってくるのに。
「どしたの?」
「ん? これ」
そう言って私にぐいっと差し出してくれたのは。平たい箱。和菓子屋さんの包装紙。
「好きだろ? いつもの。桜」
優しく笑って私の名前を呼ぶ。
「桜が好きだって言うからさ。めちゃくちゃ詳しくなったし。桜もち」
へへっと胸を張ってみせる祥が、ずっと祥のままで。胸がきゅっとなる。
そして私に向かって広げてくる手のひら。
「なに?」
「桜、俺にチョコは?」
「──用意、してよかったの?」
「いいに決まってんだろ? 三十年続けてきた儀式だってば」
用意、してよかったの?
私は桜もちの箱を抱えてちょっと泣きそうになる。
そうか。
用意、してよかったの。
「待ってて」
私は自分の部屋に走って、机に置いてあった包みを手に玄関に戻った。
「これ」
祥はすごくすごく無邪気に頬を緩めた。
「俺の好きなチョコ!」
「おぼえてた? の?」
「そりゃあもう。桜がくれたチョコはだいたいおぼえてる。どれもこれも、おいしかった」
「そっか。うん。そっか」
祥は少し深く息を吐く。
「桜もちも。俺も桜もち好きだよ。お前と同じ名前だから」
「──そっか。そうなんだ。そっか」
胸が苦しくて、それ以上なにも言えなくなる。
祥は、私の頭にポンポンと手のひらを乗せた。
大きな手。
大きな、背。
私たち、三十年もこうしてきたんだ。
「じゃあな、帰るわ」
祥はきっともう、うちには来ないだろう。
私たちの儀式は、おしまいなんだろう。
桜じゃなくて、ひまわりみたいな人が祥にはいるから──。
祥の広い背中を見ながら、今、顔を見られなくてよかったって思った。
ぐすっと鼻を啜る音で、わかってしまったかもしれないけれど──。
*
桜もちを手に取ってみる。
いい匂い。
塩気の匂いと甘い匂い。独特のこのつぶつぶ。
葉っぱまでもちろん食べる。
おいしいよ。
だからこれからは自分でちゃんと買ってくるんだ。祥がくれた桜もちよりもっと、美味しいものを探すんだから。
祥が、好きだと言ってくれた桜もち。
そして私の名前。
『桜』
声を、覚えておこうと思う。
全部全部、覚えておこうと、思う。
忘れたくない、私たちの儀式を。
了
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