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本棚に追加 水島啓二がストレッチをしている。
放課後に。
体育館ではなく廊下の隅で。
わざわざジャージに着替えて。
なんの部活にも入っていないのに。
「なにしてんの? あんた」
廊下の角に接続した階段。私はそこに腰掛けてたずねた。
「ストレッチだが?」
水島は私を見もせずに答える。
「なんでストレッチしてんの? って話」
「家に帰ったらゲームするだろ。朝までやってたら体かたくなるだろ。だからこの時間と朝にやるようにしてる」
「まだやってたんだ? SOLだっけ?」
「『まだやってたんだ』っておまえ、昨日、俺とマッチしただろ」
「し、しらねーし。変な言いがかりつけんな」
SOLというのは、簡単にいうと競技型対戦ゲームだ。大会もあれば、プロもいる。そういう世界。最高ランクに常時いるようなプレイヤーなら年収は億を超えるという話だ。
あたしがおとといSOLにインしてたのは事実。インした先で、水島と対戦したのも事実。水島は本名で登録していたからすぐわかった。
私のハンドルネームは幼稚園に通ってた頃のあだ名だったから、たしかに、水島に気づかれてもおかしくない。
「まあ、どうでもいいけど、こんなとこで俺と話してるほうがよくないんじゃないか?」
「なんでよ」
「俺なんかキモオタの最底辺だろ」
「そんなことないよ。無口で怖いって言ってる子はいるけど、キモイなんて誰も思ってない」
「そうなのか」
「そうだよ」
「じゃあ、入学以来一度も俺に話しかけてこなかったのはなんでだ?」
「気にしてたの?」
「いや、そういうもんだと思ってたが」
「あんた、あたしのことも他の人のことも何もわかってないんだよ」
「まあ、興味はない」
「平然と言うなよ。興味もてよ」
「たぶん、次のシーズンでダイアモンドのⅣに上がるんだ。俺」
「それ、次の次でマスターランクってこと?」
「そういうこと。頂上の景色が見えるとこまで、やっと来れた」
「プロゲーマーになるの?」
「おまえらはいつもそういうつまらないことを聞く」
「何よ、悪い?」
「最高のゲーマーと戦いたいんだよ。それ自体が目的なんだ。プロゲーマーなんて食えるのは一握りだ。職業として選ぶようなもんじゃない。Vtuberのほうがマシだと思うぞ」
「え!?」
「何?」
「あんた、知ってたの?」
「何が?」
水島の顔に疑問以外何も浮かんでいないのに気づいて、はじめて私はやらかしたことを自覚した。私は目をそらし、うつむいた。
「個人情報とかあるからな、俺からは何も尋かない」
「何もしてない。機材を買ってさえいないよ。あたし、あんたみたいにメンタル強くないからさ、怖いんだ。全然伸びなかったらどうしよう、SNSで叩かれたらどうしよう、とかさ。そういういろんなことが、まだ何も始めてないのに怖い」
「怖いものがあるから立ち向かえるんだろ。立ち向かうから強くなれるんだろ」
「だから! あたしはあんたじゃないんだって!」
「理由はなんだ? 理由というか、動機か? 配信したいと思ったことの」
あたしはうつむいたまま、後頭部で両手を組んだ。
まぶしすぎて、水島のことが見れない。
「ただ、今この場所から逃げ出したいだけ。自分の居場所ができるかもしれないって、あこがれてるだけ」
水島がストレッチを終えて座り直すのがわかった。たぶん、まっすぐにあたしを見ている。
「何があった?」
「何がっていうか……」
「高校に入ってからのことは知らないけど、中学までのおまえは、クラスの中心でキラキラ輝いてた。俺にはどうやってもたどり着けない場所にお前はいた。そう見えてた。違うのか」
なんでか、ちょっと泣きそうになった。
言うつもりではなかったこと。
それが、口から出そうになっていた。
「あたしさ、ばかじゃん?」
「うん」
「漢字覚えたり、字読むのすごい苦手じゃん。なんかさ、学習障害だったらしいんだよね。ちょっとばかなのはかわいいけどさ、ばかすぎると、やっぱだめなんだよね。イケてるほうのグループにははいれなくてさ、そこに障害ってばれたら、もう誰にも相手にされなくなってさ。ほんというとさ……あんたにだけは知られたくないって思ってたんだけど……ボッチなんだよね。ガチのボッチ。誰とも話してない。毎日学校来るの、ちょっと……わりと、しんどい」
頭のうえに、そっと手を置かれた。
「すまなかった、気づいてやれなくて」
「いいよ、あんた、あたしの彼氏でもないじゃん」
「……まあそりゃそうだが……おまえ、もうちょっと言い方……」
「なによ! あたしだって、あんたの言葉に傷ついてんだからね!」
「え? どれのこと?」
素で驚いている。あたしはなんだかムカついて水島の手を振り払った。突き飛ばそうとしたら、あっさりと手首をつかまれた。
「これからは、ぜんぶ俺に話せ。力になれるかどうかはわからんが、言いたいことは全部聞く。お前が一人じゃないという証拠になってやる。俺を頼れ」
こいつ、こんな場面でなんてことを言うんだ。
やばい、と思った瞬間には私は泣きだしていた。
でもそれは、今まで隠れて流した涙とは違っていた。
水島の胸で流す涙は、溶けるように温かだった。
了

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