Ep.1
桜井勇気には最近、気になっているひとが居る。
陽気でおしゃべりを自覚している桜井にしては珍しいことに、その気になるひとの存在は、まだ誰にも告げていない。
ひっそりこっそりと愛でている、というと気持ち悪いだろうか。俺ってストーカー気質があったかな、と自分でもちょっとビビるぐらい、そのひとの姿を見るのが毎日の楽しみになっている。
桜井は大きく伸びをしながら、消防署が面している通りを見渡した。
午前九時。桜井の勤務はこれにて終了。今から明日の同時刻までは非番となる。
オレンジのレスキュー服を脱ぎ、Tシャツにジャージという気の抜けた格好になった桜井に、同僚たちが「お疲れ~」と声を掛けて三々五々に散ってゆく。
それに手を振り返し、桜井は目当ての人物を探すべく、駐車場のスペースを軽くジョギングしながら通りに目を配っていた。
「おまえ非番だろ」
「さすが体力おばけ」
朝礼を終えた本日の勤務者たちが苦笑いで横を通りすぎ、各々の仕事へ向かう。
「おい、桜井。そこ邪魔だ。さっさと帰れ」
ついには上司にそう命令され、「うぃーっス」と答えた桜井はそこで待ち人を発見し、
「んじゃ、桜井帰りまっす!」
と中途半端な敬礼をして一目散に走り出した。そのトップスピードの速さに周囲からどよめきが起こったが、桜井には聞こえない。
大きなストライドで風を切りながら、大通りの横断歩道を渡り、ものの数十秒でその人物に並んだ。
「よっす!」
桜井の声に足を止めた人物が、薄い唇にくすりと笑みを刷く。
「桜井か」
返ってきたのは不思議と清涼に聞こえる青年の声だ。
桜井は彼のきれいな横顔へと、満面の笑みを浮かべて挨拶した。
「おはよ、蘭」
蘭時生。
珍しい名字の彼は、スレンダーな体つきの、ちょっとミステリアスな雰囲気のある青年だ。年は桜井と同じ二十四歳。
住んでいるところは桜井の勤務する消防署の近く、徒歩圏内。
桜井が彼について知っていることは、いまのところそれぐらい……と、あとひとつ。
蘭と並んで歩きながら、桜井は自分とほぼ同じ位置にある彼の横顔をチラと見た。
長い睫毛とすらりとした鼻筋、白い肌が相まって繊細にも見える蘭の横顔。
なんど目にしても信じられないという思いが強い。
黒々としてうつくしい彼の瞳が、光をまったく通さないなんて……。
最初のコメントを投稿しよう!