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本棚に追加『be adored』
「うちの嫁がはるちゃんに憧れてて」
はるの前にとある夫婦が立って挨拶をしていた。
「ほんとー? 嬉しいー!」
ライブの後の関係者挨拶。はるは夫婦と会話を喜んでいる様子だ。妻の方は恐縮がっていた。どうやら夫の方がはるの知り合いだったらしい。俺はニコニコしながら眺めていた。憧れか、可愛らしいな。
「高校までブラバンで、打楽器やってたんです。主にドラムで……だから、はるさんが凄いのずっと知ってました!」
「マジ? 私も一番最初は中学のブラバンだったんだよ。高校からバンドに移行したけど。めっちゃ嬉しいじゃん。高崎くん、写真撮ってあげてよ」
高崎と呼ばれた夫にカメラマンを頼んで、ツーショットを撮ってもらっていた。その後もドラムの話で盛り上がっていた。必要以上に恐縮がる妻と、押す夫、喜ぶはる。楽しそうで賑やかで、笑いが絶えなかった。
――今何時だろう。伊織はラジオが終わってるかな。家行っても良いかな。
なんとなく、壁にかけられた時計を見上げた。
「帰る?」
和に声をかけられた。なんか察されているような気がした。
「大丈夫だよ」
強がりにも程がある。前に一度、挨拶もせずに出てしまった時以来、なるべく途中で帰らないようにしていた。伊織にも「仕事は最後まで」と言われていたからだった。
今はツアー中だ。昨日は福井で、その前は金沢だった。今日は横浜。実は数日伊織に会えていなかった。だから、はるの和やかな光景を見たら、今日は無理をしてでも伊織の家に行きたくなった。でも時計を見てもまだ番組が終わっていない時間だった。時間的にもみんなからの飯の誘いには断らずに、スタッフと共について行った。
「憧れって、あんな感じだったかな……」
少し酔ってきて、思いもしなかった言葉が口から出てきた。
「それはお前自身が分かってんじゃないの」
東乃が隣で意地悪を言った。
「それは……どうだったかな」
「高校の時に伊織をどう見ていたのさ。それと同じだろ」
「俺は……うーん……どうかなー。あの頃は、つい見つけちゃう、気になる、ついつい見ちゃう、見惚れる。校舎ですれ違うと嬉しい、見かけると嬉しい……そんな感じ」
「あ、違ったわ。透矢のはストーカーだった」
「いや、追いかけてないよ。全部忘れた頃に現れた」
「そりゃ、狭い校舎だからな」
どうだったろう。今は頭がぼやっとして思い出せないけど、伊織を見かけるたびに「あの綺麗な人だ」と思ってた。会えてラッキーと。心にずっと残っていた。――いや、そんなこと思い出してたらたまらなく会いたくなってきたな。『今日、行っていい?』――自然とそんなメッセージを送っていた。
意外にもすぐに返事が来た。時間的に次の打ち合わせをしてるんじゃないのかと思った。
『いいよ。もう帰るから。今日横浜じゃなかった?』
そうだ、いまは横浜だったことを忘れていた。でも今日バンドは泊まらずに帰る予定だ。本当は車で送ってもらう予定だった。電車はまだある。
すぐに店を出て、今は普通にみなとみらい線に乗っている。一応キャップを目深に被ったけれど、元々誰も気付かないだろ。まさか駆け込み乗車をするとは思わなかった。
『地下鉄に乗ってる』
『電車だったのかー。大丈夫?』
――何が大丈夫なのか? よくわからない一文に笑ってしまった。
『大丈夫』
『迎えに行こうか』
『途中からタクる』
迎えに来てくれようとする伊織の言葉に、嬉しくてまた笑えてしまった。
俺、さっきまで爆裂にライブやってたんだっけ。なんか不思議だ。ステージからの景色と電車の景色のギャップにもニヤニヤしてる。――会いたい。会ってそれから……。
ため息が出るほど終電の渋谷は地獄だ。乗り換えにめちゃくちゃな時間がかかるので、ここからタクシーに切り替えた。夜道の景色を見ながら、恥ずかしいくらいにやましい気持ちがのぞいて来た。バカか俺は。
インターホンを鳴らすとすぐに開錠される。この瞬間がとても嬉しい。
玄関のドアが開く。男前がニコニコして迎え入れてくれた。
「おかえり」
「ただいま。……って伊織の家な」
俺はバカみたいなツッコミを入れて部屋に入った。伊織はずっとニコニコしていた。
「なんかたべる?」
「食べて来た」
俺と伊織は背丈も変わらない。意外と俺は大きいんだな、なんて頭の中はバカみたいなことが浮かんでいた。
「俺、今日来ないつもりだった」
「あ、そーなの?」
「遠いから」
「今日のライブ、横浜だもんね」
「でも、会いたくて」
そうはっきり言えた。そしたら伊織は目を丸くしていた。でも、俺は一気に顔が沸騰しそうに熱くなって、目を逸らせてしまった。
「よかった、俺も透矢に会いたかったから、風呂沸かしといてよかった」
伊織が笑う。あぁ、クッソ……。
「透矢、なんか飲む?」
キッチンから声がする。
今ここまでの道のりでずっと、考えてた事を言うか、何かするかするんだ。俺は自分に言い聞かせた。
「どしたの」
所在ない俺を窺いに、キッチンから伊織が来た。なんか、全てをスローモーションにしたくなる。さっきの「おかえり」という声に、膝の力が抜けた。もうここでは、さっきまでギターかき鳴らしてがなってた俺はどこへやら。猫が甘えて脛に擦り寄ってるみたいに甘えたい。
俺はゆっくり伊織に近付いて、伊織を腕の中に入れた。抱きしめて、深呼吸。胸にいっぱい伊織の香りを取り込む。
「透矢、あの、あんまり嗅がないで。仕事終わりだし」
「……伊織」
名前を呟くしかできないのか、俺は。
「疲れた?」
「大丈夫」
「風呂、沸いてるから入って来る?」
「……うん」
あー。なんてダメな男なんだ俺は。俺がくる保証なんかないのに、もしかしての気持ちで風呂を沸かしてくれたと言うのに! 湯船に浸かって反省してる場合か。あぁ、したい。伊織を抱きたい。頭の中が高校生で止まってるみたいだ。のぼせたらだめだ。
待ってくれよ。俺ってかっこいいんだろ? 今日のライブもめちゃくちゃ楽しかった。すごく盛り上がって良かった。――ギターが頭の中でギュンギュン鳴る。さっきまでの俺はどうした!
ムラムラするからとかじゃない。何ならムラムラって何だ。そんなこと思ったことないんじゃないか? 伊織に対してはドキドキする。これはムラムラとは違うだろう。
ドライヤーの風が、頭の中をも吹き飛ばしてくれたらいいのに。
交代で風呂に行く伊織を見届けて、冷蔵庫から出した炭酸水のペットボトルを開けて、一口飲んでソファに仰向けで横になる。何となくスマホを開け、顔の上に掲げてSNSを眺めた。自分のアカウントはインスタにあるけど、あまり頻繁には更新してない。バンドの公式インスタアカウントを見る。こっちはメンバーも投稿する。Xは面倒だ。余計な情報が入ってくるからあまり見ていない。
最初に伊織と再会して、部屋飲みした翌朝、カフェで朝ごはんを食べた二人の写真は、東乃経由で公式に投稿した。全然最近のことなのに、なんか懐かしい。そこからスマホの中に伊織の写真が増えた。
ご飯を食べに行った時、美術館に行った時、友達のブランドの展示会で試着するところとか、家にいる伊織とか。俺に向かって笑う、伊織の笑顔がたくさんスマホに残ってる。世界に自慢したい。匂わせなんてバカなことだと思ってたけど、自分の個人アカウントに時々登場させてしまう。カメラを起動させて、天井にスマホを向けてシャッターを押す。この家の照明がおしゃれで好きだ。昔出たドラマのロケで行った家具屋で買ったらしい。今俺はこの部屋にいる、という瞬間を切り取る。この可愛い照明を、個人アカウントのストーリーに投稿した。
「あがったよ」
照明を背に風呂上がりの伊織が現れ、仰ぎ見てたスマホの画面に入って来た。顔に皺を寄せてニコニコと笑う顔が可愛くて、それも写真に撮った。ただの照明なのに、伊織の美しい輪郭を溶かすような逆光。この景色は生活指導室に並んで座っていた頃と変わらない。あの時、憧れていた伊織が近くにいて、緊張したっけ。でも今は、その光の中に手を伸ばせば触れられるのだ。
「……眩しいよ、伊織」
溢れた言葉は、照明のせいだけじゃなかった。伊織はいつでも光のようだ。
「投稿するなら補正してよ」
「補正しなくても大丈夫。綺麗」
この笑顔は、俺だけのものだ。
俺が体を起こすと、伊織も隣に座って置いてた炭酸水を飲んでいた。こういう共有も自然とできるようになった。
毎日伊織が好きだと思う。でも伝える言葉がなかなか出ない。
「伊織、今日……」
言え、俺。
「今日……昔のことを思い出すことがあった……」
今日のはるちゃんのことで思い出した。憧れてた頃のこと。
「うん。……それは、良いこと?」
微笑んでくる伊織の目をじっと見つめる。綺麗だ。光が宿ってる。
「……眩しかったこと……」
そう言ったら、ハッとした顔をしてた。わかったかな。……って何を? 伊織に憧れてた頃のことだと。
「じゃあ、良いことだ」
また微笑む。あぁ、敵わない。どんどん自分が熱を帯びて行く感覚が全身に感じる。自然と手が伸びて……でもどこへ? あぁ、無理か。思わず首を伊織の肩に乗せる。寄りかかる。大体何もできないと、寄りかかるしか脳がない。伊織のうなじに鼻が触れる。お風呂の匂い。あぁ、耳が近い。ヤバいぞ。全身が熱い。ため息しか出ない。
「伊織……、今日……したい」
喉の奥から絞り出すような、ひどく掠れた声が、自分でも驚くほど甘い熱を持って、隣の伊織に届いた。あぁ、言ってしまった……。
躊躇したせいで、なんだか変に湿度を帯びた響きになってやしないか。
恐る恐る首を戻して伊織を見ると、首まで真っ赤になっていた。あれ……良かったのか? 伊織がこちらを見る。ちょっと睨んでる?
でも、伊織は俺の首に触れて、優しくキスをしてくれた。これは、了承のキス。なんて甘くて優しくて、触れるだけのキスなのか。もう一度、こっちから。そして、ゆっくりソファに身を倒して上に重なった。
パジャマのボタンに手をかけて脱がそうとする左手と、伊織の脚の間に自分の足を割って入らせて、腿にかたいそれを感じて少し押す。
「伊織、なんか変。気持ちが」
「なにそれ」
伊織が少し笑った。開けたパジャマの中に手を入れ、胸に触れる。伊織は深く呼吸をして一度目を閉じた。抱かれようとしてる。触れたい。いやもう触れられてるじゃないか。
「伊織が愛しい」
口をついて出て来た愛の言葉は、まるで古典のような響きだった。
「知ってる」
――したい。そんな願いは、知られてたかもしれない。胸を撫でてから、この手を触れたいところに持っていきたい。そのまま手を下げて、下着の中へ。後ろに滑らせて、その間の谷に触れたい。触れたい。触れたい。入れたい。伊織に全てを取り込まれたい。あぁ、何だろう。支配されたいのに支配したくなる。でも支配されていたい。何だろうこの景色。はだけて横になって、俺に腕を伸ばしている。
この間まで、まさか男のものに触るようになるとは思わなかったけど、今は触りたくて仕方ない。
勢いよく覆い被さると、伊織がクスクスと笑った。可愛い笑いだ。
「したかった」
俺がそう言うと、ゆっくり頷いた。愛しいと思う数だけ、頬にキスを何度もする。くすぐったそうだ。手を下に滑らせて、それに触れる。それも、人生最大級なくらいに優しく触れる。気持ちよさそうだ。
「透矢……つ」
さらに奥に指を伸ばす。ずっと触れたかった谷のそこへ。でももう柔らかくて、整えられていた。
きっと伊織はこうなるのがわかっていたんだ。マジで考えてることが筒抜けだったんだな。
「わかってたの」
ちょっと不貞腐れて強く指を入れてしまった。
「……んんっ。……違う……だと良いな……って……俺の……期待……っ」
何だそれ。可愛いことして。善がる美しさ。独占欲に塗れる。
さっき、客の前で激しく掻き鳴らしたギターの弦よりも、ずっと繊細に触れなければいけない場所なのに、指先から容赦なく吸い上げられる熱のせいか、自分の指がどんどん欲深くなっていくのが分かる。
もっと深く、もっと奥へ。
俺の指に翻弄されて切なく喘ぐ伊織を見つめていると、彼のすべてに俺の痕跡を刻みつけたいという、凶暴な独占欲がせり上がってくる。
待て、……ソファは狭すぎた。床に降りたい。
中のその部分に擦るようにして、名残惜しく指を抜く。
「床……降りよう」
ローテーブルを片手で押し退けて、抱えるように伊織と床に降りた。
「透矢……さっきの……」
感じながら言う伊織の頬に触れる。
「どした……」
伊織が目を閉じて首を振った。
なんだよ。可愛い。誰にも渡したくない。クソッ。ヘドロみたいな感情だ。何でだ。
その感情に飲まれるように。予告なしに入れてしまった。
「んんっ」
伊織が唸る。とんでもなく中が熱い。少し待とう。伊織の息が荒い。ヤバい、この顔を見ているだけで、俺の方が先に弾けてしまいそうだ。
俺はキスをして、入れたまま伊織の体を引っ張り起こす。向かい合わせで抱き止めるようにすると、「うぅんっ」と伊織が唸った。
「んっ、透……はぁ……気持ち……うんっ……」
擦れるのか、伝えようとしてるのに、多分気持ちがいいんだろう。二人の荒い呼吸が部屋に響く。動くと伊織がしがみつく。汗ばむ体に湿度が合わさる。風呂上がりだったから熱いな。伊織は細身だけど、筋肉はある。時々ジム行ってるからか。
ちょっと……マジで気持ちいいな、伊織の中。伊織の腰を抱えていつもよりも強いかも。もう終わりそう。首にキスをする。鎖骨に噛みついてみた。歯形がいやらしく赤く残った。そしたら、珍しく伊織が先に果てた。その少し後に俺は、とんでもない快楽と共に伊織の中に果てた。俺が飛びそう。
「あぁ……はっ、はぁ……っ」
伊織がまだ余韻の中なのか、少し声が出ていた。
「伊織、大丈夫? 無理させた、ごめん。シャワーかトイレに……」
早く出してあげないと……。
「……ん」
俺に寄りかかるように、ぐったりしている伊織を抱き起こして中から離れる。汗をかいて湿度のある肌を撫でる。俺、少しやりすぎたな。かわいそうだったかな。脱ぎ捨てたTシャツで伊織の身体中を拭いた。ラグも洗った方がいい。
「伊織……大丈夫か」
「うん……あぁ、ごめん まだ……何だろ……頭が……」
そこから少し出てくるのが俺の体にも感じる。
「トイレ。立てる?」
床に手をついてゆっくり、ヨタヨタと立とうとするが、よろけた。俺はちょっと責任を感じて、お姫様抱っことは行かなかったが、伊織を抱えて風呂に連れて行き、シャワーを浴びせた。
「立てる」
「ごめん、マジで。ちょっとやりすぎた」
「大丈夫」
そう言って、伊織がキスをしてきた。俺はそこを洗い、身体中を洗ってあげた。真面目に洗った。ふざけて変な触り方なんかはしてない。これには入れる側の責任が伴う。絶対的に無理をさせてるからだ。されるがまま、洗われる伊織も、黙って従うから可愛い。
「透矢……」
「ん?」
「さっきの……狙ってないでやったでしょ?」
「狙って……? ん?」
どのこと? 俺は点が線で結ばれなくて聞き返した。
「ほら……。わかってない」
「何を」
「……知らない」
「え、何……」
何かまずかったのか、焦る。何かしたっけ。何も言わないで入れたから? 指も不躾だったからだろうか。言っても俺は男同士はまだまだ初心者だ。大先輩の伊織からしたら、癪に触ることがあったのか。
「ごめんなさい……先に謝っておく」
伊織がシャワーヘッドを俺から奪って、俺の顔に浴びせた。何だよ……。
「あのね……あんな風に言われたら……ダメだって」
え? 何……? 俺はぐるぐるとこれまでのことを脳内で巻き戻して考えた。もしかして。「したい」って言った時のやつか?
「え、ごめん……何かダメだったか」
「言い方」
そう言い放ってシャワーを止めて、ドアを開けた。
「言い方! えー?」
伊織は棚からバスタオルを出して、俺を頭から包んだ。それから俺の顔を見るなり、諦め顔をして、ため息をついた。それからゆっくり微笑んだ。
「……カッコ良すぎるだろ。あんな、耳元でさ。……もう……何なの透矢は……。俺を殺す気?」
「え!」
思いもしてなかった! 言うのに躊躇したから、なんか変な感じになってだと思ってた。……か、カッコよかったのか……。
「なんだ、よかったのか……」
「よかった、じゃない! ナチュラルにあんな感じとかヤバいから」
「気をつけます」
「昔のこと思い出してしたくなったなんて、嬉しかった」
「……あの時、もっと仲良くなってたら良かったなって、ずっと言っちゃうな」
「透矢にはそんな勇気ない。ってのもずっと言ってる。一生透矢に憧れられたい」
見つめ合う。お見通しだ。かなわないな、俺の憧れは一生憧れだ。
「……したい時って。ああやって言うんだな」
「あまりカッコよく言わないでくれ」

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