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提灯の灯りに照らされた花びらが、やけに遅く落ちていく。
「凄い人混みだ」
交際して半年、私の彼氏は、歩くとき、ごく自然に私の手を引いてくれる。
「はぐれないようにね」
指を絡める恋人繋ぎは、解けないようにという意志がそのまま伝わってくるみたいで、温かくて、少しだけ重い。
ーーけれど、あの人は違った。
一年前。
同じ場所で、同じように夜桜を見たことを思い出す。
「トロいからはぐれんなよ」
人混みの中、私の手首を乱暴に掴むだけ。指先が肌に食い込むその感触は、ただの荷物を運んでいるみたいだった。
◇
空いているベンチを見つけると、彼氏は私に「待ってて」と言い残し、屋台の方に駆けてゆく。
暫くすると、ホカホカのたこ焼きを私に差し出した。
「熱いから、気をつけて」
彼氏はそう言って、ふぅ、と息を吹きかける。少しだけ照れくさそうに笑う顔が、優しい。
「……ありがとう」
一口かじると、ソースの甘さと熱がじんわり広がった。
◇
一年前、屋台の列に並んだのは私だった。
走って戻ると、あの人はベンチに座りスマホをいじっていた。
光に照らされた、青白い横顔。顎のライン。
「たこ焼き買ってきたよ」
差し出すと、あの人は
「入れて……」とだけ答えた。
私はたこ焼きを冷ましてからあの人の口に運ぶ。
「美味しい?」
少し間が開く。
「まあまあ」と聞こえた。
◇
「美味しい?」
彼が、同じ問いをくれる。
私は少しだけ遅れて、笑った。
「……美味しいよ」
本当に、美味しい。
味も、温度も、ちゃんとここにある。
彼氏と話すとき、話題はいつも「次」のこと。
「来年はどこに行こうか」
「夏には海に行きたいね」
約束という名の未来が積み重なっていく。
LINEも、いつだって丁寧だ。
「おはよう、今日も一日、頑張ろね」
「仕事、お疲れ様」
「ゆっくり休んで」
私の時間を尊重してくれる言葉たち。画面を見るたびに、静かな安心が広がる。
◇
あの人とは、外で会うことなんてほとんどなかった。
名前のつかない関係だったから。
連絡は、いつも唐突で、そして短かった。
「今からこれる?」
深夜、あるいは雨の日。私の都合なんてお構いなしに放り投げられるその一文に、私の心臓はいつも跳ねていた。
ひたすら通知を待つ毎日だった。こない日は、我慢の後に泣きたくなる。きた日は、嬉しいが先で悔しいが駆け足で追いついてきた。
◇
桜の木の裏で「結衣」と名を呼ばれ、抱きしめられた。
背中に回された両手がキツくなる。
彼氏が耳元で囁いた。
「まだ足りない。ずっと一緒にいたい」
ああ……。この言葉、一度で良いからあの人に言わせたかったな。
◇
掃除が苦手な人だった。床に散らばる飲みかけのペットボトル、コンビニの空容器。
ベッドの上、私は揺れながら、または、揺らされながらそれを見ていた。
二ヶ所フックが飛んだカーテンはいつも半開き。
用事が済むと、あの人はサイドテーブルにしなやかな腕を伸ばし、タバコを掴む。
「ふぅ〜」
口から吐き出された煙がゆらゆら天井に昇ってゆく。
もう、自分に一ミリも興味ない横顔なんか見たくない。私は背を向けて服に着替える。
残された仕事は速やかに部屋を出てゆく。それだけだった。
◇
「僕のアパートへ行こう」
彼氏が私の手を引いて人混みの中を歩く。
同じ背丈ぐらいの女性と肩がぶつかった。
「ごめんなさい」と女性が謝る。そのあと、女性は首を傾げた。
「あの……」
分かってる。女性は私を知らない。だから、私の表情に困っている。
「結衣?」と彼氏の声。
女性の隣に立つ男性が低い声で言う。
「謝ってんのに、感じわる」
男性は女性の肩を抱いた。
「行こ、摩耶」
……摩耶。
◇
あの人と初めて会ったのは、オンラインゲームのオフ会だった。
カラオケ屋のパーティールームで、まずは自己紹介から始まった。
長身で、頬が削げた男。あの人は私の斜め前に座り、知らない女子と会話していた。
「えっと、二十六歳」
私より一才上だと漠然と思った。
「あー、一人暮らし」
「えっ、普通の会社員だけど?」
あの人のシャツは、身体の線をなぞっていなかった。布と肌のあいだに、わずかな空気が遊んでいる。袖は手首を越えて、指の付け根に触れるか触れないかの位置で止まり、動くたびに遅れて揺れていた。
あの人は、少し長めの前髪を掻き上げた。
「ってか、質問ばっかでダルいんだけど」
女の子は「ごめん」と謝り他の席へ逃げていく。
自分の言葉で他人が傷つく予想ができない人だと思った。
あの人が私の横に座ったのは、オフ会がそろそろお開きという雰囲気の中だった。
「あんた、コミュ障?」と、あの人は顔を傾ける。
私は初めて至近距離であの人を見た。
別にタイプじゃない、普通の顔。
「なぜですか?」
「いや、あまり喋らないから」
「喋るの苦手です」
「じゃあ、なんでオフ会に来たの?」
「さあ……なんとなく。あなたは?」
「同じ」
「オフ会って楽しいのかと思ってました」
「で、どう? 楽しい?」
ミラーボールが周り、酔っ払いがステージで歌いながら踊っている。それをタンバリンで盛り上げる人たち。私は彼らをじっと見つめた。
「私、楽しく見えますか?」
「いや、全く」
「つまらないです」
「同じく」
「ならさ」と、あの人は私の手首を掴んだ。
「楽しいとこいこうよ」
危険な男だと感じた。でも、私は引かれた手に従ってしまった。
理由などない。聞かれても分からない。
そのあと、私たちはゲームセンターでバカみたいにハシャいだ。
ユーフォーキャッチャーが天才的に上手い人で、あの人に会うたび、私の部屋に新しいぬいぐるみが追加された。
数回会って、食事して、あの人の部屋で戯れあった。その延長で関係を結んだ。
私は勘違いしていた。この関係は愛で、これから始まるのだと。
けれど、あの人は言った。あっさりと。
「俺、彼女いるよ」

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