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新しい気分になりたくて、白奈はいつものプレイリストではなく、おすすめにあがってきたアーティストの曲を電車の中で聴いてみた。女性メタルシンガーだ。重低音とハスキーな歌声が絡み合い、白奈の朝を鼓舞してくれた。
教室で拓人と合流し、週末のことを話した。
「ぼくさ、代打でバイト入ったんだけど……」
そんな「失敗」のことを話してみると、拓人は笑い飛ばしてくれた。
「あー、あるある。焦るよな。オレはさ、反対側の電車乗ったり、普通じゃなくて快速乗ったり」
「あるあるなんだ……?」
「そりゃそうでしょ」
講義を終え、二人で学食に行ったのだが、二人席が取れない。
「拓人、どうする……?」
「購買で買って芝生広場で食わねぇ? 今日、いい天気だし!」
そう。初夏の日差しは色白の白奈には少し厳しかったが、澄んだ風が通り、外で過ごすには絶好の陽気なのである。
白奈はサンドイッチとコーヒーを買った。拓人と並んでベンチに座り、芝生広場でサッカーをしている一団を見ながら、白奈は尋ねた。
「拓人ってサークル入った?」
「いや。教職で精一杯だし、バイトもしたいし。白奈はどうするんだ?」
「そうだねぇ……無理して入らなくてもいいかも、って今は思ってる。浅く広くより、狭く深く人脈作りしようかな」
ニカッ、と拓人が笑顔を見せた。
「じゃあさ、オレの部屋泊まりにこない? 今日でもいいし!」
白奈は勢いのままにうん、と答えそうになったが、思いとどまった。
「明日の講義の教科書とか持ってきてないし、家族も急に泊まりだと困るだろうし。準備してからがいいな」
「じゃ、明日!」
「いいよ!」
帰宅した白奈は、リビングで書き物をしていた玄伊に言った。
「ねぇ、明日夕飯要らない。友達のところにお泊まりする」
「ああ、うん。お泊まりね。誰のところ?」
「拓人。千円、って言った方がいい?」
「あー、千円くんね。了解」
下二人部屋に入った白奈は、着替えをリュックサックに詰め込んだ。他に何が必要だろう。外泊用の歯磨きセットか。こうしていると、何だか入院準備のように思えてきた。けれど違う。白奈にとって生まれて初めての、友人宅へのお泊まりだ。
青葉と朱桜も帰宅し、四人で食卓を囲んだ。今夜はハンバーグだ。コーンスープにブロッコリーのサラダもついている。
「あのさ、明日友達の部屋にお泊まりするんだけど、何か持って行った方がいいものってある?」
朱桜は目を丸くして箸を止めた。青葉が考え込むように指をアゴに沿わせながら言った。
「失礼のないように……それ相応の菓子折りを……」
すると朱桜がぎょっとして言った。
「え、大学生のお泊まりってそんなに堅苦しいの? 青葉もそうしてたの?」
「いや、俺……いつも手ぶらだったわ」
玄伊が目を細め、白奈に優しく説明した。
「コンビニで買えるようなお菓子とか、そういった物の方が、受け取りやすくていいかもね。二人で楽しめるようにするのが一番だよ」
「そっか。じゃあそうしてみる。ありがとう、みんな」
翌日、登校前に白奈はコンビニに寄り、スナック菓子をいくつか買い込んだ。それから講義終わりに図書館前で拓人と合流した。
「おう、白奈! こっちこっちー」
「今日はよろしくね」
「うん! 実はさ、大学生になってから友達呼ぶの初めてでさ。呼ぶなら白奈って決めてた」
「え……どうしよう、凄く嬉しい」
「ちょっと歩くよ。行こうか」
大学を出て、住宅街に入った。細い路地を通り抜け、二階建ての寂れたアパートにたどり着いた。
「ははっ、ボロいだろー」
「おお……」
白かったであろう壁は茶色く汚れ、二階へ続く外階段の屋根はトタンだ。手すりのペンキもところどころはがれていた。
「歴史ありそうだね……」
「築五十年! とにかく家賃抑えたくてさぁ。でも中はリノベーションしてるから」
拓人について二階へ上がった。中に入った白奈は、わあっと歓声をあげた。
「和室だ……!」
「うん、そうだよ」
入った瞬間にわかる畳の香り。隅に寄せられた畳まれた布団。ちょこんとしたちゃぶ台。
「凄い凄い! 旅館みたい!」
「そんなにいいものでは……」
「ぼくの家、和室ないから新鮮だよ! ここに泊まれるの嬉しい!」
スニーカーをきちんと揃えて脱ぎ、白奈はちゃぶ台の下にあったクッションに座った。それから、リュックサックを開けた。
「お菓子あるよ。一緒に食べよう」
「おっ、サンキュ! 気が利くなぁ」
お菓子を食べながら、白奈は次から次へと拓人に質問した。
「部屋探しって自分でやったの……?」
「いや、父親に手伝ってもらったよ。最終的にここに決めたのはオレだけど」
「引っ越しって大変だった?」
「そんなには。本当に必要な物しか置いてないから」
今夜はここで過ごす。家でもない、病院でもない、新しい場所で。
「一人暮らしって、やっぱりしんどい?」
「まっ、何でも自分でしなきゃだからしんどいこともあるけど、基本的には気楽。どう過ごしてても怒られないしさ」
「そっかぁ……」
白奈は語り始めた。
「ぼくさ、四人兄弟って言ったじゃない? 家事は兄たちがほとんどしてくれるからいいんだけど、一人の空間っていうのも憧れるんだ。部屋はすぐ上の兄と同室だしさ」
「もし一人暮らしするって決めたら手伝うよ。って言っても、オレも一人暮らし歴二ヶ月目だけどさ!」
夕飯は宅配ピザにした。狭いちゃぶ台ではピザの箱がはみ出しており、二人は競うようにして食べた。
拓人から語られたのは将来のこと。教師になったら、かつての拓人のように落ちこぼれた生徒を見過ごさず、全力でサポートするということ。
「ぼくも……拓人みたいに目標見つけたいな」
まだ、未来の自分は見えない。具体的に働いている姿は想像できない。けれども、ほんの少しだけ、道しるべが浮かんできた。自力で稼いだお金でご飯を食べるという生活だ。
「決めた。卒業したら実家を出る。まあ……兄たちにはまだ黙っておくけど」
「うん、いいんじゃね? 楽しいよ、一人暮らし」
風呂を借り、敷かれた布団の上に白奈は寝転がった。安物なのだろう、ぺしゃんこだったが、畳と距離が近い分背中に心地良い感触がした。
隣の布団に拓人も潜り込み、白奈にごろりと顔を向けて、こんなことを尋ねてきた。
「なあ、白奈のこと、もっと知りたい。どんな子供だったの?」
「そうだねぇ……産まれた時のことからになるけど」
「いいよ、聞かせて」
「長くなるよ。何せ三人も兄がいるから」
それは、白奈にとって最も長い夜になった。

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