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本棚に追加 たぶんこれは夢だ。
そうに違いない。
中学の職業体験の帰り道、そこにあるはずの池は沼へと姿を変えていた。
「帰りたければ、一人生贄を差し出せ」
沼のど真ん中で粘度の高いうねる波が、トレビの泉の真実の口ような姿をした怪物へと変わる。その邪気、ヘドロのような悪臭、唇の端にしたたる血飛沫。これがRPGゲームならボス戦で勝ち抜きたい所だ。
「何…これ…?」
赤川さんが立ち尽くして震える。平山くんが赤川さんを庇うように一歩前に進み出る。
「よう、バケモノ。転生フラグだろ?俺が生贄になってやる。さっさと異世界へ送れよ」
平山くんの威勢の良い言葉を沼の魔物は嘲笑うように、沼の魔物は口から人間の腕を吐き出した。バラバラになった骨にやつれた薄い皮だけの、無残に切り落とされた腕。
「神隠しという言葉があるだろう?人間の世界には。それは人知れず時空の狭間に吸い込まれた生贄のことだ。夢物語の話ではない。
これは現実だ。生贄を早く選べ…さもなくば三人全員生贄だ…」
あたしは急に馬鹿馬鹿しくなった。 神だか仏だけ知らないが、何が生贄だ。手前勝手な都合で人の命を奪うなんて。
「ねえ、コイツを殺せば生贄はいらないよ」
赤川さんと平山くんに言うやいなや、沼のほとりにある漬け物石サイズの石を持ち上げて、目一杯沼の魔物に叩きつける。
「愚かな人間よ、そんな物で倒せる訳がなかろう。石を落としても、水はその石を底に沈めカサを増すだけ。痛くも痒くもないわ」
赤川さんがもう一度石を投げようとする私を制するように止める。
「止めようよ、沼の神様かもしれないし…」
平山くんはリュックを砂利道に置いて何かを取り出した。
「水属性には火属性を。職業体験の古民家カフェからくすねてきた。このマッチの火に冷感スプレーで、よし!」
火炎放射器のつもりだろう。その真昼の花火のような火は、沼の魔物の身じろぎのような水飛沫でいとも簡単に鎮火された。
「足掻いても無駄だ、さあ誰を生贄にする?早く選べ!」
赤川さんが一歩前に進み出た。
「私でいい。なんかもう疲れた。勉強に部活に進路。毎日毎日、考えること、やらなきゃいけないことがありすぎる。忙しくて疲れたから全部投げ出したい」
平山くんが慌てて止める。
「落ち着けよ。一人で背負わず平等にジャンケンとか。俺と牧田で赤川を見捨てたみたいになるだろ?公平な選び方にしないと生き残った方も辛い」
赤川さんは平山くんに肩を揺さぶられて、急に泣き出してしまった。
「ごめん、でもどうしたらいいか分からなくて…」
なんかこの二人はいい感じ。
命の危機なのに、あたしは意外と冷静にこの二人が醸し出す甘い雰囲気を観察していた。ジャンケンにしたところで、この二人が示し合わせたらあたし一人が負けそう。
そしてもう一つ、沼の魔物の言葉。
ー石を投げつけても水かさが増すだけー
(沼の水全部抜いちゃいました…なんて)
職業体験をしてきた古民家カフェはすぐそこ。外には庭掃除用のモップの四角いバケツがある。吊り橋効果で今にもキスしそうな二人。泣きじゃくる赤川さんを平山くんが抱きしめている間に、あたしはバケツを取りに走った。カフェのオーナーや通り掛かりの人の手を借りられるかもしれない。そもそもこれは夢で誰かに起こされるかもしれない。
淡い期待は裏切られた。誰も何処にもいない。モップのバケツはカフェ裏手の従業員通路にぽつねんと、まだそこにあった。灰色のバケツに、黒のモップ絞りローラー。バケツを持って戻ると、沼の魔物は鼻を鳴らして笑っていた。
「そんな物でどうするつもりだ?」
「空になるまで汲み上げるまでよ」
「浅知恵で同じ事をして力尽きた人間が幾らでもいたがな。やるのか?それでも」
「ええ。二人も手伝って。古民家カフェの中は無人だけど、掃除のバケツがまだあるはず。地面にぶちまけて沼を空っぽにする」
「牧田…そんなの焼け石に水だろ?」
平山くんは諦めようとしている。
赤川さんも頷いて平山くんとしっかり手を繋いでいる。
「あのね、牧田さん。私と平山くんが生贄になる。牧田さんがそんなことをしなくても助かるから、大丈夫だよ…」

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