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「ようやくあいつはサインしたぞ」
契約書を手元に置き木根は携帯で話していた。場所は、いつものかび臭い部屋だ。相変わらず人の気配はない。対照的に窓の外からは街の喧騒が聞こえている。
「本当か」
携帯の向こうからは今にも飛び上がりそうな声を出して鳥越が聞いてきた。
「あぁ、本当だよ。あとは、一日も早くあいつに文章を書かせて出版させるだけだよ。そうすれば、半年後にでもお前の本が書店に並ぶことになる」
「よしっ、よくやった。でかしたぞ」
電話の向こうで鳥越は歓喜の声を上げた。
「だけど、油断だけはするなよ。あいつは、これまでサインを渋っていたんだ。これはお前のことを疑っていたからだ。だから、あいつが執筆に入ったらできるだけ力を貸してやってくれ。どうせ素人だ。駄文しか書けない人間だから、ネタをたくさん提供してやってほしいんだ。そうすれば一応形になるから」
「あぁ、それなら任せてくれ。ネタになるような話であれば、山ほどあるからな」
鳥越は自信に満ちた声を出した。
「なぁ、これで大丈夫なんだよな。俺は」
その声に不安を覚え、木根は聞いた。
「あぁ、大丈夫だよ。何も心配することはない」
鳥越は浮かれたような声で返す。その声がまた木根を不安にさせているが、彼は全く気付く様子はない。
「だって、お前は言ったじゃないか。俺の自叙伝となれば間違いなく話題を集めるから、ヒットするって。そうなれば、金だって入ってくるわけだろ」
逆に鳥越は確認を取ってきた。
「あぁ、そこに関しては間違いない。俺が説明した通りだから」
木根は頷いた。彼はすでに鳥越に対して、出版にあたっての契約内容を提示していた。その内容から行けば、鳥越の懐にはそれなりの額が入ることになっている。当然のことながら、本が売れれば売れるほどその額は跳ね上がっていく。
「なら、問題ないよ。大丈夫だ。あとはこっちでやるから」
「本当なんだな。俺はもう二度とこんな思いはしたくないんだから頼むぞ」
相変わらず声は浮かれているため、木根は強く懇願した。
「大丈夫だよ。俺を信じろって。そうじゃないと、お前はまずいことになるんだからな。そこを忘れるなよ」
「わかったよ」
急に鳥越が声を落としてきたため、木根は仕方なく頷いた。
「わかればいいんだよ。大体、お前が自分の仕事をしてくれれば何の問題もないんだから頼むぞ」
鳥越はすぐに明るい声に切り替えると、一方的に電話を切った。
(くそっ、何でこんなことになってしまったんだよ)
木根も電話を切ったが、口からは重いため息が漏れる。おそらく、このプロジェクトが成功することはないだろう。必ず、どこかでほころびが出るはずだ。そうなれば、自分の編集長としての人生に幕が下りることになる。
かといって、ここで全てを中止にしたところで結果は同じだ。暴力団が絡んでいるだけに、もっとひどい結果になるかもしれない。
つまり、どっちに転んだところで木根にはもう暗い未来しか待ち受けていないというわけだ。
(もう終わりだよ。俺は)
そう考えると、木根の口からはため息しか出てこなかった。

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