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本棚に追加雨の日の放課後
六月の雨は、不思議な力を持っている。
朝から降り続く雨粒が校舎の窓を静かに叩き、曇ったガラスの向こうでは、校庭が薄い灰色の雨に霞んでいた。
「また雨かぁ……」
「雨の日って、なんだか眠くならない?」
後ろから聞き慣れた声がして、私は振り返った。
そこにはギターケースを机に立てかけた男子生徒――朝比奈悠斗が立っていた。
彼とは同じ二年生で、軽音部に所属している。
普段はどこか気だるそうで、授業中もうとうとしていることが多い。
それなのに、ひとたびステージへ立てば、その雰囲気は一変する。
去年の文化祭で見せた演奏は、今でも鮮明に覚えている。
「……なる」
「やっぱり?」
「うん。先生の声が子守歌みたいだから」
「それは先生に失礼だろ」
そう言って悠斗が笑う。
つられて私も笑ってしまった。
私――水瀬美咲と悠斗は、一年生の頃から何かと縁があった。
同じクラスになり、席が近くなり、気付けば毎日のように話す仲になっていた。
恋人でも幼なじみでもない。
それでも放課後に一緒に帰ったり、コンビニへ寄り道したりするくらいには気心が知れている。そんな曖昧な距離が、一年以上も続いていた。
「今日も部活?」
「うん」
「ライブ近いんだっけ?」
「七月に校内ライブ」
「楽しみにしてるね」
「じゃあ、ちゃんと来てよ?」
「もちろん」
何気ないやり取り。けれど、私は知っている。
悠斗は人前では平気そうに振る舞っていても、本番前になると誰より緊張することを。
去年の文化祭前日も、彼は困ったように笑いながら言っていた。
『やばい、手が震える』
そのとき私は、自動販売機で買ったホットココアを一本渡した。
『これ飲めば、きっと大丈夫だよ』
『何その理論』
『気持ちの問題』
半信半疑で受け取った悠斗は笑っていた。
結果、翌日のライブは大成功。
それ以来、ライブが近づくたびにココアを渡すのが、いつの間にか私たちの小さな習慣になっていた。
「はい」
昼休み、自販機で買ったホットココアを机の上へ置く。
「ありがとう……って、まだ六月なのにホット?」
「冷たいの飲んで、お腹壊したら困るでしょ」
「心配しすぎだって」
「ライブがあるんだから」
「……母親みたい」
「こら」
二人で顔を見合わせ、思わず笑った。
◇
放課後。昇降口で靴を履き替え、外を見ると、朝よりも雨脚が強くなっていた。
「傘、持ってる?」
「もちろん」
「よかった……俺、忘れた」
「また?」
「三回目」
「四回目だよ」
「そんなに忘れてた?」
「覚えてないところが問題」
思わず苦笑する。
「じゃあ、入る?」
「いいの?」
「風邪ひいてライブに出られなくなったら困るから」
「なるほど。俺じゃなくてライブが心配なんだ」
「……半分くらいはね」
「残り半分は?」
その問いに、私は少しだけ言葉を詰まらせた。
「……秘密」
そう答えると、悠斗は照れ隠しのように笑った。
一つの傘の下。肩が少し触れる。
近い。
でも、不思議と嫌じゃない。
駅まで続く道を、二人並んでゆっくり歩く。
道端では紫陽花が雨に濡れ、鮮やかな青や紫の花を咲かせていた。
「きれいだね」
「うん」
同じ景色を見て、同じ言葉を交わす。
それだけの時間が、とても心地よかった。
駅に着くと、電車に乗り込んだ悠斗が、窓越しに手を振る。
「じゃあ、また明日」
「うん。また明日」
電車はゆっくりと動き出す。
その姿が見えなくなるまで、私はホームに立ち尽くしていた。
「……何やってるんだろ、私」
その帰り道、雨の中を歩きながら、胸の奥にあった想いに気付いてしまった。
友達だと思っていた。
ずっと、それだけだと思っていた。
でも違う。
彼が笑えば嬉しい。
落ち込んでいれば心配になるし、一緒にいると安心する。
ほかの女の子と話している姿を見ると、少しだけ胸が苦しくなる。
「そっか……好きなんだ」
ぽつりと零れた小さな独り言は、降り続く雨音に溶け、誰にも届くことなく消えていった。

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