人質

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天文16年(1547年)、真田幸隆の三男として生まれる。 天文22年(1553年)、武田氏への人質(形式上の人質)として7歳で甲斐へ下り、武田晴信(武田信玄)の奥近習衆に加わった。 信玄は昌幸の父・幸隆にも劣らぬ才能を早くから見抜いて、「我が眼」と称して寵愛したと伝えられている。 そのためであろうか。昌幸は永禄年間に信玄の母系・大井氏の支族である甲斐の名門である武藤家の名跡を継ぎ、「武藤喜兵衛」を称した。
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