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「……何であたしが、こんな目に遭わなきゃいけないのよ! 大体、P子の分際で──」
ぱあんっ、という乾いた音が、さほど広くない室内に響き渡った。
「貴女は、たかが『竹口祐加』の分際で、P子さんの何を責める事が出来ますか?」
我々がこの部屋に入り、竹口祐加が浅い眠りから覚醒した途端、彼女が悪態をつき、その頬を新庄が引っ叩いた。
「この部屋を一目見れば、P子さん──いや、田中浩子さんから貴女に対しての、大きな愛情が見受けられます」
竹口祐加の左脚には鎖が付けられていたが、それ以外に彼女の自由を奪う物は無く、彼女の周りには、手の届く範囲内に、あらゆる物が揃っていた。
ベッド、テレビ、DVDプレイヤー、簡易トイレ、着替え、冷蔵庫には、大量の食糧と飲料水。
ただ、彼女を捉えた鎖が、玄関や窓に到達出来ぬ長さを保持していた。
「──当初計画していた旅行は、三日間ですか、四日間ですか?」
「……三日」
「ではもし仮に、今日我々がここに辿り着かなくとも、貴女だけは助け出された筈です。浩子さんは、独りで死にたく無かった。中でも、一番仲が良かった貴女と、人生最期の瞬間を、共に過ごしたかった」
「……え?」
「この直ぐ近くに、養豚場がある。そこでは毎日、沢山の豚が屠殺され、我々人間の食卓へと運ばれているんです」
「……ちょ、ちょっと待って下さい。ピコが、浩子が死ぬって、どういう事ですか?」
その時一瞬、新庄が意外そうな顔をした。
「浩子さんは、重度の糖尿病を患っておられます。定期的なインスリン注射が、必要な程に、です。……まさか、ご存じ無かった、と?」
竹口祐加が、驚きの表情のまま、深く頷いた。
田中は、そのやり取りを聞きながら、隣接した和室で昏睡した妹に注射を施し、救急隊員が用意した担架に彼女を載せた。
そして運ばれる浩子の姿を見て、竹口祐加は、その場に立ち上がった。
「……うそ。ピコ? 何で? ちょっとオジサン! ピコ、助かるんでしょう? 死んだりしないよね!?」
新庄は、掴み掛かる祐加を丁寧に引き剥がし、真直ぐに彼女に語る。
「……勿論、我々は田中浩子さんを助ける為にここへやって来たんです。貴女を助けに来た訳では、無い」
みるみる内に、竹口祐加の両目から、大粒の泪が零れ落ちる。
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