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<8>
バリバリという甲高い軋みを上げて、閉ざされていたトイレの扉が開いた。
一瞬の静寂ののち、店員が声を上げた。
「どなたかいらっしゃいますか!」
予想以上に、彼の声は店内の澱んだ空気に反響した。
──何?
私の中に、違和感が渦巻く。
店員が口にした言葉が、理解出来ない。
彼が開け放った扉の向こう側は、今現在、彼にしか見えてはいない。
そして、あの扉の内部から聞こえていた物音も、この場に居合わせる全ての人間が知る、揺るぎ無い事実の筈だ。
『何者かが中にいる』
それを明らかにする為に、あの扉は開かれた筈なのだ。
この店の常連客である私の記憶を頼るならば、あの扉の内部はこうである。
小さな洗面台と男性用の小便器、洋式の個室がそれぞれ一つずつ。
……と、いう事は。
「個室に入ってるんじゃあないのか」
私の考えを、石橋が代弁した。
緩慢な動作でスツールから床に降りた石橋は、さも億劫そうに身体を前に進ませる。
私もそれに倣って、スツールから降りた。
自分の目で、扉の内部を確認する為である。
「ちょっと待って!」
店員は再び声を上げ、その場に近付こうとする私達を左手で制した。
店員の意図が掴めない。
すると彼は、さらに理解に苦しむ行動に出た。
「なっ、おいお前、何やってるんだ」
石橋が掛ける言葉などはお構いなしに、店員は、苦労して開けた扉を、再び閉じ始めたのである。
「おい、ちょっと待てって!」
小走りで店員の身体に石橋が組み付いた時には既に遅く、彼の丁度鼻先で、扉はぴたりとその隙間を埋めた。
「何考えてんだお前。中に、誰がいたんだ?」
「石橋さん、少し落ち着いて」
まるで、聞き分けの無い子供を諫めるかの様な店員の物言いに、石橋の表情は変化を見せた。
「はあ!? 落ち着いて、じゃねえだろ! 人が一人殺されてんだぜ? この中にいる奴が犯人かも知れねえんだ。……いいからちょっとどけっ」
扉に備え付けられた真鍮の把手を、二人の大の大人が奪い合う格好となった。
「石橋さんが仰る様に、この中におられる方が犯人である可能性はあります。ですが!」
店員が、半ば強引に石橋の手を振りほどいた。
「この中に閉じ込められていた人物よりも、この場に居合わせている我々の方が、遥かに犯人である可能性は高いんですよ!」
店員の叫びに、私は息を呑んだ。
確かに、その通りなのだ。
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