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そんなだから、京都へ行くことになってもあたしは残留組に入れられたのだろう。
あたしは当然、殿のお側仕えとして、京でもお供するのだと思っていたから、もう自害するっていうくらい取り乱して、佐吉や周りの人にかなり迷惑を掛けてしまった。
そんなあたしに、左吉は、殿はあたしに会津を任せて下さったんだと、励ましてくれた。
実際に殿のお考えは分からないけれど、その心遣いに応えようと、殿の留守をお守りにした。
もともと藩の財政に余裕はなかったのに、追い討ちを掛けるように京での資金も必要になってしまい、かなり苦しい生活だった。
なぜ、そうまでして、殿は京にいらっしゃったのかしら。
殿のお側に使えていた頃は毎日雑事に追われ、政といったらたまに殿から相談を持ち掛けられる程度で、藩政に関心を持ったことはなかった。
けれど、城主不在の城下を守るためにあたしも書物を読んで学び、そしてだんだんあたしの興味は、世の中に広がっていった。
きっと今あたしたちが生きている時代は、後々お国の歴史書な書かれるようになるに違いない。
会津のためなら、あたしも京で殿といっしょに戦いたい。
そう申し上げたら、殿はきっとカラカラ笑って、
「いくさをしに行くのではない」
とおっしゃるかしら。
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