第一章 上洛

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あたしがお仕えするお方は、会津藩主、松平肥後守容保(かたもり)様。 今から二年前の文久二年十二月。 幕末のこの動乱の時代に、紆余曲折を経て京都守護職に任命されたのは、まさしく会津のお殿様なのであった。 京都守護職は、都の治安を守るため、京都所司代の上に新しく設置されたもの……らしい。 この幕末の京都の体制を「一会桑(いっかいそう)政権」と言われるのは、ずっと後のこと。 一橋慶喜様、桑名の松平定敬様、そして我らが会津の殿の三者が禁門の変を機に、朝廷をお守りする体制が作られたのです。 黒船来航から、どうも日本はおかしい。 江戸では多くの学者や幕吏が殺されているし、長州なんかは欧州の大国と戦争をしたとか。 お城で殿にお仕えしている身であっても、一女中であるあたしの耳には詳しい話は入ってこないけれど。 そして、新しい勢力──、 大権現様(徳川家康)が築いたこの幕府を倒そうと目論む勢力が現れた。 この勢力の人たちが唱えるのは「尊皇攘夷」──幕府を倒し、再び鎌倉以前の、天皇主権の世の中に戻そうというもの。 その攘夷派と、幕府をお守りする佐幕派との衝突が耐えないのが首都・京都。 このような事情なので、危険が伴うことも承知で、殿は上洛を決意したのだった。 その日からこの二年間、殿は京に籠り、会津を留守にしている。 あたしも二年も殿にお会いしていない。
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