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揺れる想い
「来週、一緒に会いに行こう」
そう言うと、美智子は微かに肩を震わせて驚き、
「うん」
小さく頷いた。
「そんなに持って行けないよ」
あの人に会いに行く為に両腕いっぱいに桔梗の花を抱えて家に帰って来た俺を見るなり、美智子はそう言った。
必要な分だけを残し、後は美智子がたっぷりの水と共に活けてくれので俺の部屋の花の香りが強くなった気がした。
用意の済んだ美智子を連れ、部屋を出る。
置き去りにされた桔梗が風もないのに揺れた気がした。
「初めて連れて来てくれたね」
目を細めて風に揺らめく髪を抑えながら、美智子は写るもの全てを瞳に焼き付けるように静かに目を閉じた。
風に揺れる髪から、淡く甘い桔梗の残り香が漂って来るような錯覚を覚えた頃、美智子は目を開き俺へと向き直ると笑って言った。
「誠ちゃん。私は桜木美智子だよ。岩城紗也じゃない」
泣き出してしまいそうな声音に凍り付いてしまった俺を見つめ、美智子はもう一度笑った。
驚きの余り墓洗い用の桶は倒れ、尺から零れる水までも墓石ではなく俺の足を濡らしたのに美智子は鞄からキャラクター物のハンドタオルを取り出し、拭き笑って。
「お母様が見てるのに」
そう言った。
固まったままの俺を美智子は暫く見つめていたが、やがてため息を付くと替えの水を汲みに行ってしまった。
その姿が見えなくなるのを確認してから、当時中学生になろうとしていた俺が恋心を抱き続けるには切な過ぎた。
いや、恋心を抱くには不毛過ぎた相手が眠る墓を見つめた。
人は出会いたい時に出会えないものだと分っているのに。
「ねぇ。紗也さん。なんであんたは人の物ものだったんだ」
一緒に親父も眠っている筈の墓に向い、俺は問い掛ける。
あぁ……、なんて親不幸者なんだろう。
「俺も連れて行ってくれれば良かったのに」
何度、言葉にしたか分らない想いを今年も口にして、俺は泣き崩れた。
美智子は全て気付いていたのかも知れない。
俺が置いていかれて泣いている子供のままで、美智子に最後まで母親と呼べなかった愛しい人を重ねて見ていた事を。
そして、母親として見れなかった事を償うかのように母親像を重ねて見ていた事にも。
あの泣きそうな笑顔。
俺が思っていたよりもずっとずっと傷付いて来たんだろう。
「ごめん……」
俺は絞り出すように呟いた。
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