金翼の司馬、司徒、司空

6/21
77275人が本棚に入れています
本棚に追加
/350ページ
   三大司とは、司馬、司空、司徒と呼ばれる国家の長。それぞれ一人づつしか任命されない、軍事、内政、外交の名を司る最高責任者である。  司馬は国防と司法を統括する王佐より上の階級。戦場など現場の指揮権は王佐にあるが、大局を判断する決定権は司馬にある。この大司馬の座を争って、軍服組と法衣組の熾烈な椅子の奪い合いに発展することもある。  軍部で叩き上げてきた王佐のような者が昇進するか、はたまた、政治家、官僚畑で渡り歩いてきた司法組の長が任命されるかで、国防の命運が大きく左右されることがあるからだ。  大司空とは行政の最高責任者であり、各省庁の大臣たちの任命権も持つ。スタンシアラでは大司空は丞相とも呼ばれ、アイシャの兄でもある、召喚師ヨンファがその位に就いていた。  大司徒は外交など機密情報を扱う最高責任者。立法府の長でもあり、優秀なだけではなく他国にも知れ渡るような高い人望も求められる。大司馬など軍部の者とは真逆に、民衆からは平和を司る象徴のようにもとらえられている。  事実、大司徒の外交により目前に迫っていた戦争、国同士の衝突を回避した例は多い。結果的にたった数人の外交官が、武器も持たないで多くの犠牲が出るであろう戦争を止めたならば、両国の何千という人間の命を救ったことになる。  スタンシアラやフィラス・メイデなど各国には三大司の役職があるがアヴァンティストにはない。  大陸でも最も古い歴史を持つティストには、国民ならば誰もが知っているこんな逸話がある。  遥かに遥かに昔の神話の時代の物語。信仰の国アヴァンの建国に尽力した三人の指導者がいたという。法律もなく、貨幣もなく、道徳も知らない。当時はまだ、無知で野生の獣のような存在だった人間。そんな人々に神々に対する信仰を布教して、法と文明を与えて、最初の道徳をもたらしたのが伝説の三大司と伝えられている。  その功績を神様に認められた彼ら三人の指導者には黄金の翼を与えられ、元は人間の身分でありながら天使となり、天界に上がることを許可された。  いつの日か、聖なる都アヴァンに滅亡の危機が迫った時は、天界から祖国を見守る彼ら三大司が、黄金の翼を羽ばたかせて再び祖国に降臨すると伝えられている。  城下町からはメイデ伝統の打鎧の音が響いてくる。あの音が止んだ時に死が訪れる。誰もがそう覚悟していた。 「残念だがここまでのようじゃ、皆の者、最後まで信仰を忘れるな、三大司様の御元にと旅立つのじゃ」  大老と呼ばれる老人に呼応するように、民衆を囲んでいた負傷兵たちが剣を抜く。真っ赤に充血して、涙に歪んだ瞳をきつく閉じながら、傍らの子供に優しく語りかけて頭を撫でていた。  城内からは人々の啜り泣く声と鳴咽が響き渡る。彼らアヴァンの民に、恥を忍んで生き延びるという選択肢はない。なぜならば信仰国家が戦争に敗れると例外なく神を抹消される。彼らはそれを知っている。  アヴァンティストの信仰神はハルタワート。その女神が抹消されてしまう。戦争に敗れれば生命や財産は奪われて人権も侵害される。しかし彼らが何よりも恐れているのは信仰の蹂躙。何もかもを失ったとしても最後に拠り所となるのは神への信仰。それすらも奪われてしまう。  制圧した国に人望の高い王族や将軍がいて、民衆が崇め始めると邪魔な存在になる。いつか反乱の芽となる可能性も高い。それならば適当な難くせで罪をでっち上げて殺せばいい。  しかし制圧した国の民衆が崇める神は殺せない。それは制圧した側の国の人間から見たら異教徒の神であり邪魔な存在でしかない。だから経典を燃やして神を悪魔にしてしまう。堕天したことにしてしまうのだ。堕天使の多くは、そうやって戦争に勝利した側の人間都合で作られたもの。  国が信仰を賭けて戦う戦争を聖戦(ジハード)という。そして歴史上のあらゆる戦いの中で、最も多くの罪のない女子供たちが犠牲になるのがこの聖戦。神ほど多くの無垢な人間を殺してきた存在はない。 「戻りなさい、高欄(こうらん)が崩れるから、廻縁(まわりえん)に出たら危険じゃ」  身を寄せ合って座り込み、震えている民衆たちの真ん中にいる大老が首を伸ばして声をかける。城の廻緑というバルコニー部分に、いつの間にか少女が立っているのに気づいたからだ、。身を乗り出して空を見上げているから、恐怖に打ち負けて身投げするのではと大老は思っていた。    少女が掴む高欄という石造りの手すり柵は、長い年月をかけて雨風に侵食されていて、今にも崩れそうになっている。もう一度危険だと声をかけようとしたが大老はため息をついてしまっていた。これから集団自決しようとしているのに危険もなにもない。 「綺麗、本当に綺麗……」  大老は気づいていなかったが少女は下を見ていたのではない。雲一つない抜けるような青空に、燦々と光り注いでいる太陽を見つめて目を細めていたのだ。  見上げる少女の目尻から一粒の涙が滑り落ちている。無垢で透き通り、硝子の結晶のように煌めくその雫には、黄金色に輝く白銀竜の翼が映し出されていた。
/350ページ

最初のコメントを投稿しよう!