愛しい人

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「……脳が少しずつ停止するって、どういう事なんだ?」 俺は静かに雨音に尋ねた。 「……五感も、記憶も、感情も、指先1つ動かすのだって、全ては脳が必要でしょ?そういうのが少しずつ無くなっていくの。……実はね、私の足、もう動かないんだぁ」 「えっ?」 雨音が何気なく言った一言に、俺は一瞬耳を疑った。 「……足が動かない?何で!?」 「もう私の脳はね、もう『足動けー』って指示が出せなくなっちゃったみたいなの。こんな風にドンドン体が動かなくなっていって、感情もなくなっていって、記憶もなくなっていっちゃうの。ゴメンね。もしかしたら私、心ちゃんの事も忘れちゃうかも知れない……」 ……何で謝るんだよ?お前は何も悪くねーだろ? 「……泣かないで心ちゃん」 雨音に言われて気がついた。 俺はいつの間にか涙を流していた。 一番辛いのは雨音なのに………情けねぇ。俺には何も出来ないのか? 「……ゴメンな。男のクセに泣き虫で………」 「ううん。私の為に泣いてくれてるんでしょ?それなら私は嬉しいよ。でも私は、心ちゃんには笑ってて欲しいな」 そう言って雨音は、俺の好きな笑顔を見せてくれた。 ……俺だって雨音にはずっと笑ってて欲しい。 俺は雨音の為に何が出来る? きっと何かあるはずだ。 きっと……… その時、ふと俺の頭に浮かんだのは婆ちゃんの姿。 そう。病院の外に停めてあるババチャリの存在に、俺はようやく気がついた。
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