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そうして私は地元へもどってきた。いくぶんあっさりと。
駅前でタクシーに乗り、行き先を告げる。さあ、家へ帰ろう。
それでも。
いままでの歴史は長かったのだ、とても。
体が暇さえあれば、恋のことに思いを馳せるようにできてしまっていた。
とくに今回の恋はわりと長く続いていて、そのぶん習慣はこびりつき、鎮火したと思っていてもこんなふとした折りに黒く、再び燃え上がる。
こんなふうに静かなときに。
穏やかなときに。
タクシーに沈み込むように座るそんなときに。
彼を待つためだけに借りていたマンション、その空気
目の前が光るような思い出の数々
楽しく未来を想像していた過去のかわいそうなわたし
未練がましく連絡をしてくる彼の着信履歴
便利だったんでしょうからね、私にいなくなられると悔しいんでしょう、と嫌味を呟き、
・・・・・・こうやっていちいち自尊心を自ら踏みにじるのにも、嫌気がさしながらそれでも。
一瞬で、
やっぱりあの人のところへ戻ろう、そしてこの先に何があるのかわからないけどもうそれでもいいかもしれない、
と思ってしまった。
ああ、やっぱり逃げたかったんだ。逃げてもしょうがないじゃないか、このままあの人のところへ行ってごめんなさい、と謝ろう。
まだ、いまならまにあう。
「あの、すみません、駅へもどれますか」
焦燥感とそんな自分にうんざりする気持ちを抱えながらタクシーの運転手に言う。
「そう。いいけど、今日の夕飯はなべだよ」
「は?」
何故気付かなかったのか。
歳老いたタクシーの運転手、そのひとは私の厳格な父親だった。
父?ほんとに父だろうか?いや、間違いなく父。だが、なぜ?
「驚いたか」
混乱さめぬ私に父は照れ臭そうに呟いた。
「そりゃ……そりゃ驚くよ、なにしてるの?」
父はよくある会社のエリートコースにいたはずだったのだ。
人間というものに公平で部下にも慕われた父。定年にはまだ早いはずだが……まさか
「リストラなんてまさか自分に降り懸かるなんて思わなかったよ、もう二年も前の話だけどな」
「……そう」
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