大正

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おばあちゃんの名前は『キミ』。大正12年1月12日、埼玉県の秩父にある定峰で分家の六人兄弟の長女として生まれた。 上に兄が居たみたいだけど徴兵されその後戦地にて戦死。そのお兄さんについては僕も深くは聞いたことがなくて名前すらわからない。 次におばあちゃん、その下に秩父市白久に嫁いだ妹の『白久のおばさん』、秩父市の町中の紺屋に嫁いだ妹の『紺屋のおばさん』、秩父市の大滝に嫁いで二十年ほど前に他界した妹の『大滝のおばさん』、秩父市で鉄工所を営んでる弟の『鉄工屋』。 長男の顔はわからないが兄弟全員が顔が似てて、姉妹の顔は特によく似ていて幼い頃は見分けがつかなくて、お年玉を貰っても誰に貰ったかわからず困ったのを覚えている。 おばあちゃんが生まれ物心ついた頃には父親はすでに病気で他界していて母親一人だったようだが、本家が道を挟んで向かいにありとても仲がよく互いのご飯を食べたりしていたらしくそんなに貧しい思いをせず育った。その本家の旦那さんが小学校の先生で、学校では怖くて有名だったがおばあちゃんが家に帰ろうとすると呼び止め『今日はうちにご飯食べに来なっせぇ』とよく声をかけてきて喜んで家に帰ったという。小学校での成績は置いといて、小学校を卒業して40年以上働くこととなる旅館で仲居さんとして働き出す。 従業員の人数はかなり多かったが、みんな仲良く家族のようだと思い出すたびに僕に言ってきた。実際に僕が会ってきた人達は、あたたかみのある人ばかりだったし、悪いことすればよくひっぱたかれた。それでも、なついていたので僕も理屈ではなくそういう事を感じていたんだと思う。 おじいちゃんについては実は全くと言って良いほど知らなくて、ぽっかり空いて僕のお父さんが生まれたっていうところしか聞いたことがない。 お葬式での話なのですが一人息子なはずなのに、親戚のおばさんと認識してた人がお父さんの妹として紹介されてるのを見てビックリした。 そのことから考えると…複雑になっていくし気にしないことにした。 親子とはよく似るものでお父さんも僕の小さい頃のように、旅館に行っては周りの人のお世話になってたらしい。 その頃の話を聞いてもやはりおじいちゃんの話は出ない…というよりも存在を感じない。女手一つでお父さんを育てた。 そして、孫の僕が生まれた。
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