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「ただいまぁ」
はるかの声が石壁にわずかに反響して聞こえる。
返事はない。
中に入ると、ひんやりとした空気が肌に触れた。それだけ外の気温が上がってきたということだろう。
外の熱を遮断するため、窓は明り取り程度の細く小さなものが天井近くの壁にいくつかあるだけだ。そこから差し込む陽光が室内を照らしている。
入ってすぐの部屋は八畳程の広さで、入口の正面には石造りの四角い卓があり、二つほど椅子が並べてある。
その奥の壁は一面本棚になっており、びっしりと書物が並んでいる。
「秋良(あきら)ちゃん?」
いつもこの時間は、角卓の向こうの椅子に腰掛けて本を片手に、はるかが帰ってくるのを――厳密に言うと、朝食を運んでくるのを待っているはずなのだが…。
かごを角卓に置き、はるかは奥の部屋をのぞきこんだ。
「あきらちゃーん……だっ!?」
何の前触れもなく頭頂部に落ちた強い衝撃に、たまらずうずくまる。
両手で頭を抱えたまま後ろを見ると、すらりとした影が部屋の入口の逆光に浮かび上がっていた。
「秋良ちゃん、痛い……」
はるかは立ち上がり、抗議の涙目で秋良を見上げた。
秋良は、はるかの頭上に墜落させた厚い本を肩に乗せてため息をついた。
「遅い! 市に行って帰ってくるだけで、どうやったら一時間近くもかけられる?」
橙色に染めた麻の衣服に身を包んだ秋良は、戸口に寄りかかった。
それほど背は高くないが、細身で顔が小さいため、実際よりも背が高く見える。
その口の悪さと暴力的な手足を封じておとなしくしていれば、すばらしい美少年なのだが……。
それが実は少女であるということを知っているのは、このあたりではおそらく本人とはるかだけだろう。
「俺が四半時で帰って来いって言ったの、聞こえなかったか? それとも、そのかしこいおつむで忘れたか?」
「だって……」
はるかは言い訳しようとして、黙り込んでしまった。行きがけに猫を見つけて追いかけていたとはとても言えない。
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