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浪士組を離れ、京都に残留した近藤達。
残留組は先に紹介した、近藤一派と芹沢一派。それに加えて、根岸友山率いる根岸一派、そして殿内と家里などである。
しかし根岸一派は残留組内でのいざこざが原因で、すぐに脱退してしまう。
殿内・家里は実は、浪士組が残留組の動きを知らせる為に送ったスパイであったが、後に残留組によって粛清され、残留組は近藤一派と芹沢一派で構成される事となった。
将軍警護を目的とし、幕府の組織から離れた近藤達。
この噂が、当時京都で一番の権力を持っていた、京都守護職であり、会津藩主でもある松平容保の耳に入り、近藤達残留組は「会津藩お預かり」という称号をもらう。
これは京都府知事に組織としての活動を許されたという事になる。
残留組は組織の名前を決める事にする。しかし意見は分かれ、
近藤一派
→壬生浪士組
芹沢一派
→精忠浪士組
(せいちゅうろうしぐみ)
一つの組織に二つの名ができる結果となった。
とは言え脱退や粛清により人数もいない。彼らは隊士の募集を行う事にするのであった。
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