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京都府に認められ、将軍を警護するという目標も少し見えた壬生浪士組。
(以下、浪士組)
彼らは人数を集める為、第一次となる隊士募集を行う。
この結果浪士組は36人余りの集団となり、町に潜む不逞浪士(ふていろうし)の取り締まりや、市中の見回りを行なっていく。
活動は壬生浪士組と精忠浪士組の二つに分かれる事もあり、近藤ら壬生浪士組は市中の見回りなどを行なっていたが、芹沢達精忠浪士組は店から金を巻き上げたり、金を出さなかった店に火をつけるなどの暴挙にでる事がしばしばあった。
当時浪士組全体を仕切っていたのは芹沢鴨。
局長という立場にいたが、局長は他に二人存在し、
芹沢鴨
近藤勇
新見錦
この三人が局長を勤めていた。
芹沢は局長の中でも一番偉い「筆頭局長」であった。
同じ局長でも近藤や新見より更に偉いという事である。
そのため近藤は芹沢に強く出る事ができず、浪士組は評判を落としていく一方であった。
局長の下に位置する「副長」という立場にいた土方歳三。近藤一派の人間であり、幼い頃から近藤の親友であった彼は、ある一つの提案を出す。
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